人は何のために生まれてきたのか?
誰しも、このような疑問を持ったことがあるのではないでしょうか。
でも、その理由を明確に答えられる人はほとんどいません。
孔子さんも、このように言っています。
朝にどう生きるべきかを悟ることができれば、
夕方に死んだとしても後悔はない。- 孔子 -
(春秋時代の中国の思想家)
人が生きるべき道を知ることは、それほどまでに難しいと説いているのです。
とはいえ、
「人は何のために生まれてきたのか?」
この問いに対する自分なりの答えを持っておくことは重要です。
自分の進むべき道が定まっていなければ、人生の途中でどこに向かっているのか分からなくなり、必ず迷うときがやってくるからです。
例えるなら、大海原へ航海に出ているのに、船長のあなたが進むべき方角を見失っているようなもの。
それでは、どこに向かっているのか分からなくなり、すぐに遭難してしまいます。
しかし、そんなときも正しい方角を示す”コンパス”を持っていれば、目的地に向かって前進することができるでしょう。
人生における”コンパス”、つまり人が生きるべき道を悟ることで、あらゆる物事を決める『指針』になるのです。
そこで今回は、「人は何のために生まれてきたのか?」というテーマを深く掘り下げて考えてみたいと思います。
記事の目次
人生は意味を与えない。あなたが意味を与えるのだ。
神様に対する疑惑
改めてお聞きします。
あなたは、何のために生まれてきたのでしょうか?
何か特別な意味があって、この世にやってきたのですか?
これは、とても重要な質問です。
よく考えてみてください。
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考えましたか?
もう少し待ちましょう。
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OK(あなたは自分の脳ミソでしっかりと考えましたか?)。
答えは、
「ただ、そこに生まれただけ。」
特に理由などありません。
なかには、


などと、反論する人もいるでしょう。
しかし、これらは極めて個人的な意見であり、普遍的な真理とは呼べません。
だって、そうじゃありませんか?
神様が存在しないことは、すでに科学的にも、生物学的にも証明されています。確かに数千年前までは多くの人が信じていたのかもしれませんが、今さら時代遅れです。
それは例えるなら、最新の天気予報を一切信じずに、毎日お祈りをして雨乞いをするようなもの。
もちろん、あなたが何を信じようが自由です。
しかし、

なんてドヤ顔で言われても、僕には全く響きません。
宇宙規模で考えた時に、あまりに捉え方が”人間寄り”過ぎるし、死後の世界という”誰も確かめようのない場所”を持ち出すあたりもウサン臭さを感じます。
さらには「神を信じれば救われる」ということは、逆をいえば「神を信じなければ救われない」ということ。
考えようによっては、一種の脅迫とも受け取れます。
あ、ここで誤解して欲しくないのですが、僕はイエスさん本人は好きです。

そう考えているのです。
例えば、新約聖書を読んでみても、彼が説いた素晴らしい教えはほとんど残っていません。
また、キリスト教のシンボルは”十字架にクギで打ちつけられたイエス”であり、その無惨な姿に祈りを捧げるという行為から、当時の弟子たちの強い恨み、憎しみ、復讐心からキリスト教が発足したことが読み取れます。
その結果、イエスの教えを勝手に解釈して、

とか言っている輩をみると、

と、思わずツッコミたくなるのです。
そもそも、僕たちは厳密には誰一人として、自分の生年月日も、生まれた場所も知らず、この世に生を受けました。
本人が認識している誕生日だって、あくまで親から教えられたもの。『オギャー』と生まれた時から覚えていた訳ではありません。
それどころか、自分のお尻にオムツをつけられていたことすら記憶している人はいないでしょう。
つまり、人間は誰一人として、自分の誕生日や生まれた場所を知らないだけでなく、オムツのとれる年頃まで自分の存在すら知る由もなかったのです。
それなのに、



と、物知り顔で言っている人がいたら、それはあまりに傲慢です。
その主張を裏づける根拠は何一つないからです。
『人は何のために生まれてきたのか?』
それに対する答えはありません。
人は何かと意味をつけたがる生き物ですが、世の中には”答えのないこと”のほうが圧倒的に多いのです。
全ての人に共通する大事なこと、正しい道など存在しないってことにどうか気づいて欲しい。
誰もあなたに意味を与えてはくれません。あなたが意味を与えるのです。
宇宙、人類、生物…すべて偶然の産物である。
ちょっと視点を変えて、宇宙規模で考えてみましょう。
『人は何のために生まれてきたのか?』
この問いを考えるうえで、
「地球は何のために誕生したのか?」
「宇宙は何のために誕生したのか?」
世界全体の存在理由からアプローチする必要があります。
なぜなら、宇宙が誕生しなければ地球は存在しないし、地球が誕生しなければ人類も存在しないからです。
つまり、人間の誕生に意味があるなら、必然的に宇宙の誕生にも何か意味があるはずです。
遡れば、宇宙は『ビッグバン』によって生まれた。
これが現在、多くの人に受け入れられている定説です。
【ビッグバン】
宇宙の初めに起こり、現在の宇宙に至ったと説く、大爆発のこと。
引用:大辞林 第三版
ビッグバンが起こることで、太陽ができ、そのあと地球ができ、すべての生命が誕生したといわれています。
では、ビッグバンは何か意味があって起こったのでしょうか?
地球や人類を作り出すために、わざわざ宇宙は誕生してくれたのでしょうか?
そんな訳ありませんよね^^;
宇宙の法則に則って、偶然そうなっただけです。宇宙の始まりが偶然ならば、地球、人類、生物…すべては偶然の産物に過ぎません。
つまり、全ての存在に生まれた理由などないと言えます。
人生のミッションはそれぞれ異なる。
人間には個性がある。

人間は、誰もがユニークな存在である。
少なくとも僕は、そう考えています。
みんな違う才能を持って、みんな違う世界観を持って、みんな違う個性を持っている。そして、みんな一度きりの人生を生きています。
人間の姿形は、一見同じように見えて、実は少しずつ違うんですよね。
例えば、僕とあなたが全く同じ映画を観るとします。そこで脳みそをスキャンして、電気信号を調べてみると、同じシーンを観ていても全く違う部分が動くそう。
つまり、同じ映像を観ていても、それぞれの感じ方が異なるため、脳の中では違った反応が起きているのです。
要するに、一人ひとりが”異なる現実”の中で生きていると言えます。
また仕事一つとっても、そうですよね。企画の得意な人もいれば、モノづくりの得意な人、営業の得意な人もいます。
さらには、スポーツの得意な人もいれば、音楽の得意な人、絵を書くのが得意な人もいます。
この世には、誰一人として同じ人間などいません。
僕らはユニークな存在であり、一人ひとりが個性的な人生を生きているのです。
他人と比べるな。自分と比べろ。
そして人間は、それぞれ異なるミッションだったり、ビジョンだったり、目的だったりを持って生まれてきた。
僕は、そう考えています。
さらに言えば、そのミッションとは誰かに教えられるものではなく、自分自身で見つけ出すものです。
当然ですが、人生を生きる意味なんて、みんな違っていい。
誰もが自分の望む生き方で、自分の人生を生きていけばいい。
それが、僕の率直な意見です。
それなのに、物心がついて学校に通うようになると、みんな同じ教育を受けさせられて、同じテストで点数をつけられて、同じ評価軸で比べられて、最終的には同じように就職しろと強要される。
つまり、幼いうちから他人と競争させられながら生きてきました。
そうすると、大人になってからも、常に誰かと比べるクセがつきます。
例えば、自分の収入だったり、持ち物だったり、生き方だったり、常に周りと比べるような大人になってしまうのです。

そうじゃなくて、みんな違う個性を持っているんだから、それぞれの優れた特性を活かしていけばいいと思う。
別に、他人と競争する必要なんてない。
昨日の自分より今日の自分、今日の自分より明日の自分、明日の自分より明後日の自分・・・。
単純に、毎日成長することだけを考えていけば、人生はもっと豊かになるはずです。
しかし、この国では他人と比べてしまい、劣等感や引け目といったネガティブな感情を抱えている人がとても多い気がします。
僕は、そこが残念で仕方がないんです。
生きる意味もユニークでいい。
たまに、東京で電車に乗るとビックリすることがあります。
みんな同じような表情をして、みんな同じような髪型にして、みんな同じような洋服を着ている。
全く見分けがつかなくて、本気でビビるんです。
実際、内側では色んな個性を持っているはずなのに、それを隠しながら生きているんだろうなぁ、と感じます。
しかも、すごく苦しんでいる人が多いですよね。
本当はそれぞれユニークな使命を持っていて、独自のライフスタイルがあって、楽しい人生の意味があるはずなのに・・・。
元気のない大人たちを見ると、ちょっと悲しくなります。
でもね、よく考えてみてください。
成功の定義なんて、人それぞれです。
ある人にとっては家族と幸せに生きることが成功かもしれないし、ある人にとっては大金を稼ぐことが成功かもしれない。
他にもスポーツの大会で優勝するとか、何か資格を取って新しいことに挑戦するとか、色んな場所に出かけたくさんの人と出会うとか・・・。
一人ひとりがユニークな成功の定義を持っていて、それは決して一つではありません。
また、その定義は人生のステージごとに変化していくことも多々あります。
だから、世間が押し付けてくる『常識』なんかに惑わされないで欲しい。誰もが、自分の人生を決める権利を持っています。
みんな、もっと自由に生きていけばいいと思うんです。
僕たちはどう生きるのか?
生きてる実感が欲しい。

一人ひとりユニークな才能を持っていて、その才能を発揮することが人生において最も素晴らしいことだと思います。
これを世間では、使命だったり、ミッションだったり、ビジョンと呼んだりします。
そして僕たちは、自分の才能を発揮できたとき、本当の意味で充足感を得られるのではないでしょうか。
自分の才能を発揮し、何かしらの価値を構築し、その価値を提供しているときに、「あ〜、俺は生きてるんだ。」と実感できると思うんです。
逆に、自分の才能を発揮できず、周りにも必要とされず生きていると、例えば自信が持てなくなってしまったり、ウツになってしまったり、寂しくなってしまったり・・・。
その結果、


と、人は生きる気力すら失ってしまうのです。
本当はみんな異なる才能を持っていて、それぞれ特性を持っているはずなのに、それに気付かず人生を終えていく人がかなり多い。
とても残念です。
別に、難しく考える必要なんてありません。ただシンプルに、自分自身の特性をまっすぐに伸ばしていけばいい。
そんな風に生きていれば、人生の意味なんて、あとから勝手についてくるものだと思います。
ビジョンは進化する。
ぼく自身も、今まで色んなビジョンを掲げて生きてきました。
お金だったり、仲間だったり、サーフィンだったり…、その目的は人生のステージごとに変化してきたんですよね。
10代、20代、30代と、歳を重ねればビジョンや考え方というのは進化するし、さらに時がたてば経つほど、どんどん明確になっていると感じています。
そして最近思うのは、自分の才能を活かせる活動をしているとき、人は”ゾーン”に入りやすいということ。
ゾーンとは、時間を忘れるくらい何かに没頭している状態です。
例えば、小学生の子どもがゲームにのめり込んで、母親から「ご飯だよ!」「早く食べなさい!」といくら呼ばれても聞こえない。全神経がゲームに向かい、集中力がMAXに達している状態です。
これを、ゾーンに入るといいます。
僕たちはゾーンに入ることで、その才能が磨かれ、研ぎ澄まされ、鋭くなっていきます。
逆に、自分の才能を活かせない活動ばかりしていると、人はどんどん生気を失ってしまうんですよね。
だからこそ、自分なりの才能、強み、ビジョンというものを意識的に自覚する必要があるのです。
自分の才能を知る必要がある。
あなたらしく生きていくためには、まずは自分の才能を知ることが大切です。
「自分はどんなことが好きなのか?」
「何をしているときに熱くなれるのか?」
「どんな分野で強みを発揮できるのか?」
自分にしか分からない好きとか熱くなるとか、そういうシンプルな感情を大切にしてください。
世間の常識に縛られることはありません。もっとみんなクレイジーになればいい。
「これ素敵だな」「面白いな」というピュアな気持ちを忘れず、あれこれ経験していくなかで、必ず自分なりの特性が見えてきます。

何かに興味を持って、あれこれと動き回っているうちに、最初の興味とは全く違う、もっと素敵なものに出会えることもあります。
そして、ユニークな才能を誰でも必ず一個は持っている。
それこそ、神様がくれた”ギフト”といっても過言ではないでしょう(無神論者ではありますが…)。
先述したように、全ての人に共通する正しい生き方なんてありません。
ぜひ、自分だけの『生きる意味』を見つけ出してください。
最後に

人間は、それぞれ異なるビジョンだったり、目的だったり、意味を持って生まれてきたと思うんです。
そして一人ひとりが、自分の生まれ持った特性を活かしていけば、世の中はどんどん面白くなっていくと信じています。
人生は一度きりです。
どんな生き方をしたって構いません。誰かの決めた通りに生きる必要なんてないのです。
自分の心の声を信じて、やりたいことをやる。
そうすれば、人生の意味なんてあとから勝手についてきますよ。
人は何のために生まれてきたのか?
その答えは、『あなたの中』にあるんです。
ぜひ、周りに答えを求めるのではなく、自分自身としっかりと向き合ってみてください。
以上、最後まで読んでくれてありがとうございます。