科学の世界では、
「宇宙はビッグバンで始まった。」
と言われています。
ビッグバンとは、今から137億年前、小さな一つの点が爆発して宇宙の万物は創造されたという説です。
まぁ、めちゃくちゃ頭の良い人たちが、色んな計算式を使って、そういう仮説を立てておられるのでしょうが・・・。
実際にその光景を見ていた人なんて一人もいないので、真実は誰にも分かりません。
全ては「きっとこうだよ!」という仮説でしか過ぎないわけです。
だからふと、

という疑問が湧いてきます。
それから僕は、宇宙の起源についてあれこれと考えました。
考えて考えて、考えまくりました。
だけど、どうしても「無」から「有」が生み出されるってことがよく分からなかったんですよね。
どうやって一瞬にして、無から全てのものが誕生するのだろうか・・・。
その時点で、僕には壮大な”おとぎ話”にしか思えなかったわけです。
そこで今回は、自分の世界観、つまり僕が「この世界をどのように認識しているのか?」という話をしようと思います。
正直、確かな知識を持ち合わせているとは到底思えないし、先述したように真実など誰にも分かりません。

世界の全体像について

宇宙の始まり
この図は、僕が世界の全体像として考えているモデルです。
もちろん、自分一人で考えたわけではなく。色んな科学的な本や論文、あるいは仏典や聖書なども参考にしながら、そこに自分の感覚を融合させて作りました。
まぁ、一つのメタファーだと思ってください。
実際のところは、よく分かりません。ただ、このように世界を捉えてみると、自分のなかで上手く機能するというか、
「世界がこんなんだったらいいなぁ。」
という願望も含んだモデルです。
で、この図の左側が「物質の世界」、右側が「意識の世界」になります。
物質世界とは、僕らが生きている地上世界のこと。意識とは、宇宙に永続的かつ無数に散らばっているもののことです。
そして、全てのものは意識レベルで、地球上に誕生する前から宇宙に存在し、現在は肉体的、物理的レベルで存在していると考えています。

宇宙の始まりは、全くの無ではなく、そこには「膨大な意識」のみが存在していた。
その意識がカタチを変えて、今僕らが生きている三次元世界に出現したと考えているわけです。
そう考えると、

と語ったアインシュタインの主張とも通底するように思われます。
意識の正体
もしかすると、ここまで読んでみて、
「え、スピリチュアルの話かよ・・・。」
と思われた方もいるかもしれません。
確かに、その手の業界には”ふわふわ”とした何だかよく分からない詐欺まがいの人達が溢れているのも事実でしょう。
僕も、それ系の話はあまり得意ではありません。
でも本来、スピリットとは『魂』という意味です。
そして、それを僕らはみんな感覚的に知っているはずなんですよね。

例えば、美しい風景を目の当たりにしたとき、素敵な音楽や絵画に出会えたとき、あるいはメチャクチャ愛している人と抱き合うタイミングだったり・・・。
自分のなかで、強烈に何かが震えるような瞬間ってあるじゃないですか。
単純な喜怒哀楽よりも、もっと強い何かを感じて、激しく揺さぶられるような感覚です。
その心の奥底でピチピチと動くようなものが、僕は魂ないし意識の正体なんじゃないかなぁと思ってます。
物質界が誕生した理由
先述した通り、ビッグバン以前には「膨大な意識」だけが存在していました。
それが、図の右側の”全”と書いてある大きな玉です。
これはどデカい魂の固まりのようなもので、そこには全てが詰まっているんですよね。
例えば、過去のあらゆる出来事だったり、未来に起こり得る可能性だったり、あるいは様々な感情だったり・・・。
全ての選択肢の総体であり、今まで全宇宙が経験した記憶が宿っています。
膨大な意識は、全てを知っているのです。
とはいえ、意識のままでは退屈でしょうがありません。だから、何か形を伴った体験をしてみたいなぁ、と。
恐らくそんな理由で、宇宙上の膨大な意識のなかに一つの「ひずみ」を生み出し、そのエネルギーの流れは渦をつくり、やがて自重に耐えかねて大爆発(ビッグバン)を起こすに至った。
そんな風に解釈しているんですよね。

つまり、全体の意識の中から、その一部である小さな魂がちょろちょろっと精子のような感じで物質界に舞い降り、色んな体験を味わうために命が吹き込まれたということです。
で、これは人間だけじゃなくて、犬もそうだし、鳥もそうだし、魚もそうだし、植物もそうだし、石もそう・・・。
そのほか、地上に存在する全ての生き物たちに共通していえます。
全体の中から、みんな魂の一個を分け与えられ、この物質界にやってきた。
だから、僕はありとあらゆるものに魂が宿っていると信じているのです。
死後の世界は本当にあるのか?

生と死

もう一度この図を見てください。
この真ん中にある2つの矢印は、あらゆる生命の生と死を表したものです。
全体の中から個体に変わるのが生まれるということで、ある時期が来たら全体の中へ還っていくのが死ぬということ。
そのように、僕はこの世界を認識しています。
確かに死ぬことは怖いし、悲しいし、虚しいかもしれません。
だけど、単純にみんなと合体しに還っていく。死というのは、シンプルに肉体から魂ないし意識が離れて全体の中に戻っていくことだと考えれば、
「そんなに怖いことではないのかも・・・。」
「もしかしたら、懐かしくもあるのかなぁ。」
と、最近は少しずつ思えるようになりました。
なかには、天国や地獄とか。あるいは死んだら無になるとか、そういう物語を作られている宗教もたくさんあるでしょう。
でも僕の場合、そう考えると怖くて眠れなくなるんで・・・(汗)。
まぁ、都合よくこのモデルを信じておけばいいのかなぁと思っています。
海と波

生と死。それは例えるなら、海と波のようなものです。
元々は海の一部だった波が、様々な体験をするために砂浜に打ち寄せられ、いずれまた全体の中に還っていく。
3次元的にみれば、波は消えて無くなったように見えますが、実際に無くなったわけではありません。

しかも、実際に臨死体験をした人なんかに聞いてみると、向こうで懐かしい人達にいっぱい出会えたとか、そういう証言もたくさん出てくるじゃないですか。
そういう話とも合致しているし、このモデルが正しいかどうかは分かりませんが、こう考えると単純に寂しくないし、
「死んじゃった人にも、いつか会えるのかなぁ。」
と思うと、どこか救われたような気持ちにもなれるので信じてるんですよね。
最後に
「宇宙の万物は、一体どのように誕生したのか?」
「人類はなぜ存在し、どこから来たのか?」
その答えは、僕には分かりません。
ただ、元々は全ての一部だったみんなが、色々な体験をするためにこの世にやってきた。
こう考えることで、少しは優しくなれるんじゃないかなぁと思うんです。
確かに、それぞれ形は違うし、性格も違うし、考え方も違います。当然、苦手な人だっているし、時には争うこともあるでしょう。
だけど、みんな分け与えられた魂を一つずつ持って生まれてきて、いずれまた全体のなかに還っていく。
そのことにおいては、どんな奴でも仲間ですよね。

そして人間が、宇宙やその全ての力とのあいだに、繋がりや一体感を見いだせたとき、人は本当の意味でハッピーになれるんじゃないか。
そんな風に思うんです。
やはり、今回のような大きなテーマについて語りだすと、どうしてもまとまりのない話になってしまうわけですが・・・。
また折に触れて、この話の続きをお伝えできたらなぁと思ってます。
それでは、今日はこの辺で。
以上、最後まで読んでくれて本当にありがとうございました。