元コミュ障男子が、コミュニケーションの『本質』について本気で考えてみた。

どうも、ヒデです。

今日は、前回に引き続き『コミュニケーションの本質』について語っていきます。

過去二回の内容も踏まえたうえで、ぜひ読み進めて欲しいなぁと思います。

コミュニケーション能力

なぜ今”あえて”コミュ力を高めるべきなのか?

2019年7月24日
自分の人生をデザインする

コミュニケーション術を必死に学ぶ人ほど、痛々しくなる理由

2019年7月30日

すでに過去記事を読まれている方はご存知でしょうが、いわゆる巷に溢れているような『コミュ力を鍛える方法』みたいな俗っぽい話は一切しないつもりです。

そういう安易なノウハウやテクニック論を学びたい方は、勝手に「どうぞ、やって下さい!」って感じなんですけど・・・。

特に今回は、そういった皮相的なレベルの表面上のコミュニケーションではなく、もっと根っこの部分を抑えていきたいなぁという想いが強くあります。

これを読み、コミュニケーションの本質・原理を肚に落とし込むことで、小手先のテクニック以上に得られるものがあるはずです。

是非、じっくりと読んでみて下さいね。

コミュニケーションはどこで起こるのか?

コミュニケーションが起こる場所

コミュニケーションとは、一体どこで起こるのか?

めちゃくちゃ基本的な問いなのですが、答えは当然『誰かと会ったとき』

この”誰か”というのを少し抽象化すると、「他者性」や「異質性」というものと出会った時にコミュニケーションが始まると言えます。

逆に「同質」なものといくら出会ってもコミュニケーションは起こりません。全く同じであれば、そもそもコミュニケートする必要がないからです。

自分と異なるものと出会ったときに、初めて「何それ?」という感じでコミュニケーションが起こる動機になるわけです。

ヒデ
まぁ、ここまでの話は至極当然なんですけど^^;

これは演劇のシナリオを書いたり、脚本を書いたり、あるいはコントの演出をしたりした経験がある人なら分かると思います。

ぶっちゃけ、演劇ってどこからスタートするかがある程度決まっているんです。

”ある人物(もしくはコミュニティ)”が何かしらの運命とも呼べるものに直面すると、それまで均質だと思われていた価値観がバラバラになって顕在化してくる。

そこから、何かとぶつかったり、惹かれ合ったり、いがみ合ったりしながら物語が進んでいくっていうのが土台にあるんですよね。

だから、この「他者性(異質性)」というものを自然な形で浮き彫りにしないと、そもそも話は展開していきません。

この流れは、古代ギリシャの頃から変わらず、すでにやり方が決まっているのです。

そして、これは別に演劇やコントに限らず、そもそも人生ってそういうもんだってこと。

何らかの「他者性(異質性)」と出会って、そこでコミュニケートを取ることで、人生を含めたあらゆるものが動いていきます。

まずは、この前提をしっかりと抑えておきましょう。

コミュニケーションの種類について

抽象化能力

2種類のコミュニケーション

コミュニケーションの種類は、大きく2つに分けることができます。

まず一つ目が『Intrapersonal(=自己内対話)』

例えば、

「なんで俺はあんなことしてしまったんだろう?」

「なんで昨日の夜食べ過ぎちゃったかなぁ?」

みたいな、要するにぶつぶつと自分の中だけで行われるコミュニケーションのこと。

そしてもう一つが、『Interpersonal(=他者との対話)』。我々が普段おこなうコミュニケーションであり、人と人とのコミュニケーションのことですよね。

で、別にこの区分自体が重要なのではなく、ここで僕が問題提起したいのは、そもそも「Interpersonal(=他者との会話)って可能なのか?」ということです。

つまり誰かとコミュニケートする、それを我々は本当に出来ていると言えるのでしょうか。

 

「相手そのもの」と対話することは不可能

大前提として、僕らは”相手自身”という情報を丸ごとキャッチすることはできません。

例えば、それが長年連れ添った家族であろうが、あるいは仲の良い親友であろうが、彼らの一生全体ぶんの情報を知り得ることはできないと思います。

つまり、普段僕らは断片しか見えていない相手と会話をしているに過ぎず、そう考えると「本当の意味で”相手そのもの”と対話していることになるんだろうか?」という疑問が湧いてくるんです。

ヒデ
まぁ、ぶっちゃけ厳しいですよね^^;

これを極論すれば、

『自分の中で、主観的に解釈された
 相手と対話しているだけ!!!』

であり、

『自分が勝手に想像している
 イメージと話しているだけ!!!』

だと言えるのです。

ヒデ
で、これって多分日常のなかでも、皆さんちょいちょい体感していると思うんですよね。

例えば、「○○さんって、こんなこと言う人じゃなかったんだけどなぁ。」「突然どうしちゃったんだろ・・・?」と思う瞬間って、誰でも人生の中で一度や二度経験したことがあるはずです。

でも、本当にそうなんですかね?

僕らが気づいてないだけで、本当に”そういう人”だったかもしれないじゃないですか。

要するに、自分の中では違うイメージだったけど、実際はそれがその人の本性であった可能性も往々にしてあるわけです。

 

「相手そのもの」と対話する意識が必要

で、ここで考えたいのは、

「一体、僕らが話しているのは誰なの?」

ということ。

先述したように、”相手そのもの”と完全に対話できるなんてあり得ません。

だから、『Interpersonal(=他者との対話)』というのは、言葉にするとそれっぽいんだけど原理的には不可能なんですよ。

ヒデ
じゃあ、不可能なんだから「独りよがりに勝手にイメージを作り上げて話していればいいのか?」っていうと、そうじゃありませんよね^^;

そこで必要になってくるのが、ありきたりではありますが、まずは「意識」「努力」です。

これに関しては後述しますが、この段階で分かって欲しいのは「私は自分の中のイメージと話していないか?」と常に自問しながら他人とコミュニケーションを取らなければいけないってこと。

実際に対話しているのは、その人そのものではなく、自分が考えうる限りの”その人”。つまり、イメージなんじゃないかっていう疑問を忘れないで欲しいんです。

その意識を持っているだけでも、随分とコミュニケーションの雰囲気が変わってくると思いますよ。

 

脳科学に基づいたコミュニケーション

ここまで読んでみて、なんか抽象的な話をしているなぁと思われた方もいるでしょう。

しかし、そもそも人間は自分の主観を通してしか世界を認識することは出来ません。そして、その主観が世界そのものである保証はどこにもないし、恐らくは間違っているんですよね。

で、これは脳科学的にも証明されていて、我々の知覚から入ってきた情報のほとんどは自分の認識にのぼってくる間に消えています。

ヒデ
そう考えると、相手の情報なんてもはや原形をとどめていないわけですよ。

厳密にいえば、原形すらとどめていないほんのわずかな情報をもとに、僕らが勝手に作り上げたイメージと喋っているだけ・・・。

繰り返しになりますが、その自覚を持つことを忘れないで下さい。

ここを意識するだけでも、あんまりイラッとしなくなりますので。他者に対して、反射的に反応することがなくなり、常に落ち着いた状態で話せるようになるのです。

なぜなら、その人から発せられているわけではなく、自分が作り出したイメージが勝手に発しているだけという感覚になってくるからです。

その結果、些細なことがあまり気にならなくなります。

そもそも論、この世界において、自分のことをしっかりと理解していて、相手のことも分かろうと努力している人はかなり少ないです。

言ってしまえば、それが出来るだけで希少生物になれます。

だからこそ、自分のできる範囲で構わないので、少しずつ意識するような訓練をして欲しいんですよね。

ヒデ
ここまで僕は、「こういう自覚を持ちましょう!」「こういう態度で接しましょう!」みたいなことしか言っていませんが・・・。
そこを意識するだけであっという間に希少生物になれるのです。

「相手」は常に二重の意味で変化している

コミュニケーション理論

なぜ、互いに行き違いが起こるのか?

今までの内容を踏まえたうえで、ここから先の話しを聞いて下さい。

まず僕らがコミュニケーションを取る相手は、常に二重の意味で変化しています。

①「相手自身」が常に変化している
②再構築した相手が常に変化している(=自分が変化している)

1つ目は、相手自身が常に変化しているってこと。

そして2つ目が、我々が勝手に作り上げているイメージとしての相手が変化しています。これは裏を返せば、自分自身が変化しているから相手が変わって見えちゃうということです。

いずれにしても、このような二重構造が存在しており、常に二重の意味で変化しているのです。

そして、さらに事態をややこしくしているのが、

『現実的には、再構築した相手は
 無理やり変化させないことが多い!』

ということ。

例えば、人と話していると、「昨日と言っていることが違うじゃないか!」と感じる瞬間があると思います。でも、それはこっちが勝手にその変化を受け入れないだけで、相手が刻一刻と変わっていくのは当然なんですよね。

この世の森羅万象は『諸行無常』。そう考えると、一瞬一瞬相手も変わっているし、自分自身も変わっています。

だから本来相手のイメージも変わっているはずなのに、我々は「○○さんは✕✕な人だ!」という強い幻想を持っているから、相手を無理やり変化させない力が働いてしまう。

つまり、相手そのものは変化しているのに、自分の中で再構築した相手は変化させようとしないから話が余計ややこしくなってしまうわけです。

ヒデ
僕らが普段話している「再構築した相手(=イメージした相手)」は、こっちの都合で変化したりしなかったりします。そして、これがコミュニケーションの難しさの全てだと言っても過言ではありません。

この現象は、例えば不動産を借りたことがある人ならよく分かるはずです。

新しい家を見つける際に、まずはネットで色々と間取りを見て、その中で気に入った物件があれば問い合わせをする方がほとんどだと思います。

で、間取図の付近には大抵『現状優先』。要するに広告で出している間取図と実際が違っていた場合は、実際の間取を優先させますよっていう文言が入っています。

でも、そんなの当たり前の話じゃないですか。

広告の間取りに合わせて家が変わるはずがないので、現状と異なれば広告がミスってるに決まっています。

それなのに、わざわざ広告に『現状優先』と書いているのは、恐らく「話が違うじゃないか!どうしてくれるんだ!」と怒り出す人がいるんだと思います。

だけど、そんなこと言われたって不動産屋さんはどうも出来ないですよね・・・。

理屈としては、違う家を探すしかありません。だって、イメージと違うんだったら現状を優先させるしかないじゃないですか。

でも我々は残念ながら、イメージのほうを優先させてしまう。つまり、それがコミュニケーションで言えば”相手自身を見ていない”ってことです。

これは、本当の意味でコミュニケーションとは呼べません。

だから、僕らは他者と良好な関係を築くためにも、相手自身を客観的に見る訓練をする必要があります。

徹底的にイメージを排除する練習です。ここからコミュニケーションの全てが始まるのです。

 

コミュニケーションを阻害するものの正体

ここまで読んできて、そもそも”相手そのもの”とコミュニケートするのはほぼ不可能であるほどに難しいことが理解できたと思います。

そして、相手自身は常に変化し、なおかつ我々が普段話している再構築した相手はこっちの都合で変化したりしなかったりするので余計ややこしくなります。

さらには、この状態がずーっと繰り返されることによって、”本当の相手”と実際に自分が対話している”再構築された相手”とのギャップがどんどんと広がっていく。

だから付き合いが長ければ長いほど、一旦関係が壊れると修復が難しくなります。もう戻せない所まで離れてしまい、結果的に手遅れになってしまうのです。

だから早い段階でちょいちょい修正していく必要があるんですが、それも今日話したようなことをしっかりと意識していなければ気づけません。

僕は、それが凄くもったいないなぁと思います。

良いコミュニケーションとは何なのか?

良いコミュニケーションの取り方

水の如し

先述したように、

ヒデ
自分も相手も刻一刻と変わり続ける!

このことを前提とすれば、より良いコミュニケーションとは『水の如し』と結論付けざるを得ません。

前回の記事でも言及しましたが、型やテクニックのようなものにハマっている限りは、どこかに”歪み”が生じてしまいます。

自分の人生をデザインする

コミュニケーション術を必死に学ぶ人ほど、痛々しくなる理由

2019年7月30日

本気で相手とコミュニケーションを取ろうと思ったら、常にその場その場でしっかりと形を変えていけるような水のような柔らかさが求められるのです。

逆に、

「さっきと言っていることが違うだろ!」

「あなたのその考え方は間違っている!」

という相手を跳ね飛ばすような強さというのは、ディベートのような議論を戦わせる場では必要ですが、一般的なコミュニケーションにおいては特に要らないと思います。

それよりも、水のように流れながら、”お互いがより良い共通の部分へ向かっていく”ような関係性を築くほうが明らかにいいわけです。

そして、僕らは刻一刻と変わり続けており、これを前提にコミュニケーションを取らないと、気づかぬ間にどんどんと歪みが溜まっていき、いつかおかしなことが起こってしまいます。

ヒデ
ちなみに、『刻一刻』という概念はハイデガー哲学でもよく出てきます。一瞬後のその人はもはや別である、刻一刻と人間は生まれ変わっているというのが彼の基本的な考え方ですよね

 

「価値判断」を一時保留する

では、他者と真のコミュニケーションを築くためにはどうすればいいのか。

僕が実際にやってみて効果を感じているのが、

『価値判断を一時保留しておく』

というやり方。

ヒデ
通常、僕らが人と接するとき「現状の認識」と「価値判断」を同時にやっているんですよね^^;

例えば、

「え、何この人?」

「変な人なのかな?」

「なんかムカつく!」

とか話しながら思ってます。

でも、そこで『価値判断』を保留する態度を身につけて欲しいんです。

相手がムカつくかどうか、好きか嫌いかはあとで決めればいい話。まずは「現状どうなのか?」という部分を把握することに集中してみて下さい。

これが出来なければ、たぶん水のように動くことは難しいでしょう。

 

一旦全てを他人事にする

価値判断を保留するとは、言い換えれば「一旦全てを他人事にしましょう!」ってこと。

そもそも、何事もいちいち自分事にするから感情に振り回されてしまうんです。

もちろん、人間性を捨て去ってしまったら元も子もないですが、一つの訓練として一旦全てを他人事にする練習をしてみる。

普段、我々はあまりに感情にべっとりと依存し過ぎています。だから反射的にイラッとしちゃったりするのです。

そりゃあ仙人じゃないですから、一瞬イラッとしてしまうのはしょうがないでしょう。でも、そのイラっとした自分を外から眺める客観的な視点を持って欲しいんです。

自分なりに「なんでイラッとしたのかな?」と考えてみると、脳が働くのでネガティブな感情は徐々に消えていきます。

それこそ相手から猛烈に罵倒されたとしても、

「何でこの人、こんなこと言うんだろう?」

ってな感じで、どこか他人事で聞いている自分に気付くと思います。

そもそも相手が機嫌を損ねている原因は、もしかして会社で嫌なことがあったのかもしれないし、夫婦仲が上手くいってないのかもしれないし、あるいは昼に食べたランチが不味かったのかもしれない。

あらゆる可能性が考えられるのに、

あいつは俺に対して敵対心を抱いている!本当にヒドい奴だ!

と、独りよがりな怒りを持つのってどう考えても無駄だし、その怒りによって物凄いエネルギーを消耗してしまいます。

 

ヒデ
だから、そんなのほっとけばいいんですよ。

自分で考え尽くして、それでもイラっとするようであれば、あとで存分とイラッとすればいい話。別にその場でイライラしなくてもいいじゃないですか。

自分に対して相手が怒っているのは分かる。物凄い悪口を言われているのも分かる。

そこで、

「一体なぜだろう?」

「何があったんだろう?」

という他人ごと感が大切なのです。

そして、これが価値判断を一時保留にしておくって感覚なんですね。

 

感情的にならない

これは怒りだけでなく、『喜び』でも一緒。大体、詐欺に引っかかる人って喜びやすい人なんですよ。

ふわっとおだてられて、ぽんっとハンコを押しちゃう。

嬉しくなるのは構いませんが、

「この人は何故、私を褒めているんだろう?」

「なんでこんな事を言ってくるのかなぁ?」

「なんで自分は喜んでいるんだろう?」

と、他人事として考える癖をつける。

別に、とにかく人を疑えという話ではなく、一旦感情を脇に置いといてフラットに見たほうがいいよってこと。

まずは、現実をありのままに捉える視点を養って欲しいんですよね。

余計なフィルターを外して、今目の前で起こっていることを客観的に捉える癖をつけることが重要なのです。

コミュニケーション上手は『●●』のバランスがいい!

コミュニケーションの本質

行動と思慮

99%
「行動なき思慮は恐怖と不安を生むが、思慮なき行動は傲慢となる」

- ウィリアム・ジェームズ -
    (アメリカの心理学者)

これは、コミュニケーションの分野でも同様のことが言えます。

「行動なき思慮は恐怖と不安を生む・・・」とは、例えば人前で話すのが怖い、営業に行くのが怖い、セールスするのが怖い、接客するのが怖い、自分をさらけ出すのが怖い等など・・・。

何でも構いませんが、そういう場合の多くは行動が足りてない。やってみると意外と簡単で、実際にやらないから怖いだけということ。

同時に、すげーウザい奴っているじゃないですか。これは相手に対する思慮が足りないがゆえに傲慢になっているということ。

つまり、どちらに陥ってもダメなんですよね。

『行動』と『思慮』は両輪であり、バランスよく進むことが何より大切になってきます。

しかし『99%』とあるように、世の中の8割くらいの人は”行動なき思慮”によって恐怖心を抱いており、世の中の2割くらいの人は”思慮なき行動”によって傲慢な印象を与えているように僕には見えます。

まずは、この現実をしっかりと認識することが重要です。

ヒデ
単純に片輪が外れている車が公道を走っていたら怖いじゃないですか^^;

勝手に自分だけが事故るのであれば良いでしょうが、大抵は周りを巻き込みますから。

自分だけの問題ではなく、事故を起こせば周りにも迷惑がかかるということをしっかりと認識して欲しいと思います。自戒を込めて。

 

コミュニーケーション=共通のものにすること

前回の記事でも触れましたが、コミュニケーションとは語義から考えると『共通のものにする』という意味。

つまり、ある新情報が、お互いのなかで旧情報になっていく過程をコミュニケーションと呼ぶわけです。

そこで重要になってくるのが、お互い『共通のものとしている』という自覚と、そのための丁寧さ。これが齟齬や食い違いを減らす一つのカギになります。

そして、ここで言う『思慮』とは、”共通のものにする”という感覚だったり、あるいは想像力だったり思いやりだったり、これら全てを含んだ精神の働きのことです。

ここが欠けてしまうと、どうしても押し付けがましくなってしまうんですよね。

それこそ「自分の価値観こそ正しいんだ!」みたいな人は、どんなに賢くても思慮なき人。それはただの傲慢に過ぎません。

思慮とは、それら含んだ概念だということを忘れないで欲しいなぁと思います。

最後に

繰り返しになりますが、まずは『相手そのもの』とコミュニケートすることは”ほぼ不可能に近い”ほどに難しいということ。

さらに相手も自分も常に変わっているので、余計に難しくなります。

そのため、付き合いが長くなればなるほど、一旦関係が崩れると修復が困難になってしまうのです。

もう戻せない所まで離れちゃう前に。手遅れになってしまうと凄くもったいないです。

ぜひ高い意識を持って、相手と”共通のものにする”という感覚を忘れないで欲しいなぁと思います。

また続編についてはこちらで公開しています。是非、併せて読んでみて下さい。

人間関係の悩み

人間関係の悩みから解放される『我-汝』のススメ

2019年8月28日

以上、最後まで読んでくれてありがとうございます!

ABOUTこの記事をかいた人

矢島秀人(ヒデ)

現代社会のあり方に疑問を感じて、最強のフリーターを志す。独自の手法「ブッダ∞アフィリエイト」を実践し、2011年以降”ほったらかし”で月収7ケタ超え。現在は海の町で暮らしながら、主にネットビジネス・企業コンサル・FX投資などを行い、個人ビジネスの究極形を追求している。何モノにも媚びず、己の腕一本で食っていける知識をシェアしよう。