どうも、矢島ヒデです。
今日は、前回に引き続き『コミュニケーションの本質』について考察していきます。
まだ読んでない方は、ぜひ前回分からチェックしてくださいね。
で、今回特にお伝えしたいのは、
「なぜ、巷のノウハウやテクニックを一生懸命学んでいる人ほど痛々しくなっていくのか?」
ってな話。
コミュ力を高めたい。そう思って色んな本を読んだり、休日セミナーに通って勉強したりしても、思うように結果が出ない。むしろ、どんどんと残念な方向に進んでしまう。
そういう人って案外多いと思うんですよ。

例えば、凄く一生懸命やっているんだけど、
「その不自然な笑顔は何なの?」
「どうして私の身振りをマネているの?」
みたいな^^;
そういう痛々しさって大なり小なりあると思うんですけど、それってやっぱり表面だけをなぞるからどうしても残念な印象になってしまうんであって・・・。
もっとコミュニケーションの本質的な部分をしっかりと抑えていく必要があるんですよね。
今回は、その辺りの話を掘り下げて書いていきたいと思います。
記事の目次
そもそも、コミュニケーションとは何なのか?

コミュニケーションとは?
コミュニケーションとは、語義から考えると『共通のものにする』という意味です。
つまり、ある新情報が、お互いのなかで旧情報になっていく過程をコミュニケーションと呼ぶわけです。
そこで重要になってくるのが、お互い『共通のものとしている』という自覚と、そのための丁寧さ。これが齟齬や食い違いを減らす一つのカギになります。

どうしても雑になってしまうんですよ、普通。
独りよがりに、
「これくらい分かるだろう」
「言わなくても通じるだろう」
と、一方的にコミュニケーションを進めていき、いつか耐えられないだけのギャップが生じたときに衝突が起こってしまう。
例えば、自分の考えに固執してずーっと自分の話ばかりしているとか、あるいは相手の話を全く聞かないだとか・・・。
僕らのコミュニケーションは、程度の差こそあれどこか価値観の押し付けみたいなことになっているわけです。
これは非常に雑であり、そもそも共通のものにしているという感覚がないことが原因だと考えられます。
言ったら言いっ放し、聞いたら聞きっ放しでは、結局何も残らないんですよね。
そして、さらに最悪なのが、ずーっと言いっ放しを続けて相手が期待するようなリアクションを取らないと、
「なんでこんなことも理解できないんだ、バカ!」
とか思ってしまう。
だけど、残念ながら相手のことを理解していないあなたもバカなんですよって話です。

当然ですが、言葉づらや上っ面だけで「わかります、わかります!」では決して上手くいきません。
本質的に、今相手と共通の土台に立っているという感覚があるのか。
それが無いまま、ずーっと上滑りで言葉だけを連ねていくから、いつか収拾がつかなくなってしまうのです。
なので、まずは『共通のものにしていく』という感覚を忘れないでください。
所詮、人間はわかり合えないのか?
「人間は本当にわかり合えるのか?」と問われれば、、、正直難しいところです。
お互いに分かり合えない部分がどうしても残ってしまうのは当然だし、実際に”共通のもの”に出来るかどうかは分からない。
だって別々の人間同士なんだから、全てが一致することはあり得ないでしょう。
でも、そこを気にしたら僕はダメだと思います。
本当に実現できるかどうかよりも、この段階では「していくんだ!」という気持ちのほうがより重要だってことです。

そこで考えなければいけないのが、
「致命的な一撃を与える部分なのかどうか?」
ってこと。
例えば、奥さんや子どもがいる人だったら、一生一緒にいる前提で暮らしているわけじゃないですか。その関係性を維持していくうえで、致命的な一撃を与える部分なのかどうかってことです。
なので現実的な話としては、致命的な一撃なのかどうかを考慮すること。あとは、やれるところから頑張るしかないんじゃないかなぁと思います。

なぜ、巷のノウハウやテクニックは使えないのか?

ちらっと冒頭でも触れましたが、なぜ巷に溢れるノウハウ本やセミナー、あるいは勉強会などで一生懸命コミュニケーションを学んでいる人ほど痛々しくなってしまうのか?
僕は、その理由は大きく分けて3つあると思います。
①西洋の伝統
まず1つ目が、巷のテクニックやノウハウというのは、元々”普遍的なものを大前提とするような発想”で作られているんですよね。
少し乱暴にいえば、西洋の伝統を踏まえたプラトン、アリストテレス的な『イデア』みたいなもんです。
イデアとは、必ず「普遍的なものが存在する」という発想のことです。いわゆる絶対神みたいなもので、ただそこに在るだけ。
この普遍的なるものは静かで一切動くことはありません。
でも、現実世界はどうでしょう?
当然自分も相手も変わるし、人間関係は常に変化しています。
要するに、そもそも動かないもの(=ノウハウ)で動いているもの(=人間関係)を捉えようとする発想自体にズレがあるわけです。
しかし巷に溢れるノウハウの多くは、そのギャップを完全に無視して体系立てられたメソッドなので、どうしても現実から剥離してしまう領域が広いんじゃないかなぁと感じます。
さらに言えば、日本人の知的伝統とも合いません。僕らは、普遍的なる絶対神みたいなものを想定した民族ではないので、西洋的な思想ともあまり相性が良くないのです。
これは、格闘技でいえば『ボクシング』と『合気道』の違いのようなもの。
ボクシングの場合、最初からガチガチに決められた型のようなものがあります。
相手がこう打ってきたら、それをこう受けてその後こう打っていく。それが一連の動作として、いくつもの型に体系化されているのです。
一方、合気道は”流れ”を重視するものなので、相手がどう動くかによって、こちらの動きは大きく変わってきます。常に動いているんです。
そういった伝統の違いも、特に我々日本人が違和感を感じてしまう理由の一つとしてあるんじゃないかなぁと思います。
②相手<テクニック
テクニックを一生懸命学んでいる人ほど、目の前の相手のことが見なくなります。
覚えたテクニックを駆使することに主眼が置かれて、肝心の相手をおざなりにしてしまう。
例えば、誰に対しても同じような接し方をしたり、誰か人と会う前に「ラポール!ラポール!」と口ずさみながらやってきたり(笑)
恐らく、皆さんも誰かと話していて、

という印象を受ける瞬間ってあると思うんです。
これは一生懸命テクニックを学べば学ぶほど、そこで覚えたことを「使わなければいけない!」という気持ちが強くなり、そっちに気を取られてしまうことが原因だと考えられます。
だから、相手の微妙なリアクションだったり、表情や言葉遣い、あるいは仕草の変化だったりに気づけない。
そもそも相手を見ていないので、どうしても『一人芝居』をしているような滑稽な印象を与えてしまうのです。

テクニックを一生懸命磨こうとする人は、例えるなら料理のレシピを一生懸命眺めている人と同じようなもの。
当然ですが、レシピをいくら眺めていても美味しい御飯はできませんよね?
実際に調理をするときは、その過程の一瞬一瞬で起こる別の”何か”があり、その時々で柔軟に対応していかなければいけません。
レシピを完璧に覚えていても、美味しい料理を作れるとは限らないんですよ。
そう考えると、テクニック集とは料理のレシピ集と同じようなものだと言えます。
③科学的手法の限界
ノウハウやメソッドとは、言ってしまえば『技術論』のこと。
そのため、
「再現性が高い!」
「練習すれば誰でも出来るようになる!」
と、世間では喧伝されるわけです。
僕は、別にテクニックやノウハウを完全否定しているわけじゃありません。

当然、何かをマスターしようと思ったら、技術を習得することは不可欠です。それは勉強にせよ、スポーツにせよ、あるいは料理にせよ何も変わりません。
確かに、ある程度『型』を学ぶ期間は必要ですが、でもだから大丈夫って話では決してないんですよ。
ここを勘違いしてはいけません。
技術的な要素とは、そもそも”科学的”なものですよね?
だけど、僕らの日々遭遇するコミュニケーションとは常に”非科学的”なもの。
非連続の繰り返しであり、創造的であり、言ってしまえば『アート』みたいなものなのです。
でも巷の書籍やセミナーでは、その部分は全く言及してくれません。より正確にいえば、それは教えた瞬間に違うものになってしまうので、誰も教えることができないんですよね。
で、結局教えられないから無視してしまう。
それ自体は構いませんが、だったらちゃんと「無視してますよ!」という事実は伝えなきゃいけないと思うんです。
それなのに、巷の”なんちゃって講師”たちは、

みたいな教え方をしちゃうもんだから。
可愛そうな子羊たちはそれを盲信してしまい、そのせいでおかしなことになってしまうわけです。
何事もそうですが、根本的なことを学ぶ努力を放棄して、
「明日すぐにでも結果を出したい!」
「さっさと答えに辿り着きたい!」
と、安易にノウハウやテクニックに飛びついても、その限界を超えることは絶対にできません。
その結果、軽薄な”痛々しい人”になってしまうのです。
最後に
たとえ同じ人と話してても、その瞬間のコミュニケーションってもう二度と起こることはありません。

でも多くの人は、今日書いたようなことを一切考えない。
だから、どうしても相手に紋切り型の印象を与えてしまい、最終的にはおかしなことになってしまうのです。
繰り返しになりますが、全く同じコミュニケーションは二度と訪れません。
まずは、この根本をしっかりと肝に命じてくださいね。
また、コミュニケーション論の最新作についてはこちらで公開しています。より具体的な内容となっていますので、ぜひ併せて読んでみて欲しいなぁと思います。