なぜ今”あえて”コミュ力を高めるべきなのか?

コミュニケーション能力

どうも、ヒデです。

人間生きていれば、当然他人と関わる必要が出てきます。

すなわち、コミュニケーションの問題は一生ついて回るものであり、それによって我々は大なり小なり悩んでいるわけです。

なかには、単純に人間関係を良くするためにコミュ力を高めたい人もいるでしょう。あるいは、人と関わる仕事をしている人なら、そもそも円滑なコミュニケーションが取れなければお話になりません。

そこで今回は、「なぜ今”あえて”コミュ力を高めるべきなのか?」という部分を掘り下げて考えていきたいと思います。

今日の内容、かなり衝撃的でディープです。

ぜひ、じっくりと読んでみて下さい。

なぜ、コミュニケーションが必要なのか?

コミュ力を鍛える

①世界の二極化が進むため

過去の記事で、以下のような話をしました。

・今後、世界レベルで二極化が進んでいく。

・それによって、人間関係(またはコミュニティ)が閉鎖的になっていく。

・その結果、個々人がバラバラの世界に閉じこもって硬直化していく。

この現象を社会科学の分野では『親和性社会行動』と言います。

これは人間だけじゃなく、動物全般にも見られる現象で、一言でいえば”似たもの同士で群れ集まる傾向がある”ということ。

そして、それが硬直化し、どんどんと閉鎖的なコミュニティになっていくことが研究によって確認されています。

これを、とある学者は『構造的空隙』と呼んだわけです。

ヒデ
『空隙(くうげき)』という言葉は、一生使わずに死んでいく人が大半だと思いますが、読んで字の如く”すき間”ってことです。

【構造的空隙】
ネットワーク上の隙間、ギャップのこと。

カオスやフラクタル理論を勉強していくと、この概念がよく出てきます。

説明を補足すると、この世の森羅万象の土台には何らかの”ネットワーク”があり、人間社会においてそれが『コミュニティ』と呼ばれているに過ぎません。

例えば、脳というのはネットワークの集合体です。あるいは”生態系が崩れる”なんて言い方をしますが、これもネットワークだからこそ、何か問題が一ヶ所にあると全体が崩れてしまうのです。

また宇宙が調和されているのは、人間にはまだ解明しきれていませんが、そこに何らかのネットワークがあり、それが安定しているからこそ成立しているわけですね。

さらには、人体が形成されるのは、約60兆個の細胞間のネットワークが安定しているからです。

つまり、この世の全ては”ネットワークで出来ている”と言えます。

で、人間社会においても、それは例外ではなく、コミュニティと呼ばれるネットワークのなかで我々は本来生きています。

それがバラバラになってしまい、それを正常な状態に戻したいけれど、どのようなネットワーク(=コミュニティ)を作るべきかが誰も分からない、というのが今の状況なのです。

ヒデ
現代とは、凄く乱暴な言い方をすれば”カオス的”だということです。
構造的空隙

要するに、閉鎖的なA,B,C,Dそれぞれのコミュニティがあった場合、そのあいだに半ば自動的に生じてしまう隙間。

例え生じさせたくなくても、この構造ができあがると、同時に発生してしまうコミュニケーション不全の領域を”構造的空隙”といいます。

で、世界ではどんなに小さな空隙でも構わないので、そこを繋げることができる個人なり会社なりが渇望されており、それができる人物はコミュニティのリーダとして、あるいはイノベーターとして認知されていきます。

端的に言うなら、適切なコミュニティを作ってあげることがコニュニケーションの重要な役割であり、それを実現できる人が成功する時代なのです。

だから、その状態を目指したいわけですが、そのためにも本質的かつ広い意味での”コミュニケーション力”が求められます。

対面でいかに好感を持ってもらえるかなど、そういった皮相的なレベルではなく、空隙を埋める役割を担うのが本物のコミュニケーターだと言えるのです。

ヒデ
そう考えると、Facebookが成功したのは原理的には凄くシンプルなんですよね。学者からすれば、何十年も前から分かっていた原理なんですけど、マークさんはそれを”現代にフィットした形で作り上げた”という意味で偉大だったわけです。

②利己的な個体から滅ぶため

リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』という本はかなり有名なので、読んだ人もいるかもしれませんが・・・。

アカデミックな世界では、”生き物は利己的である”ということがわりと常識になっています。

そのうえで、最近の進化生物学の研究では面白いことが分かってきており、

『歴史上、利己的な生き物から滅んでいった』

というのが明らかになっているんですよね。

集団のなかでみたら、利己的な個体は群れから追い出されて死んでいきます。

つまり、利他的な生き物が残り、”人間というのは地球上でもっとも利他的な生き物である”という学説が出始めているのです。

ざっくりと言うと、人間はさまざまな異質なものと交流することができ、他の動物とは違い異文化コミュニケーションを取ることができます。

そして、そのおかげで”人類は地球上でヒエラルキーの頂点に立つという風に認識される動物まで進化できた”という学説がメインストリームになりつつあるのです。

これはかなり画期的な発見で、要はコミュ力が低いとその個体は滅ぶってことなんですよ。

でも、感覚的には分かりますよね?

例えば、単純に自分勝手な奴って嫌じゃないですか。

凄い素朴な感覚として、自分の周りに一人だけスーパー自分勝手で、何でもかんでも奪っていこうとする人がいたら、ちょっと距離は置きたいと思うはずです。

そうやって、どんどんと周りから距離を取られた結果、その個体は滅ぶと言っているだけなので、それほど不思議な話ではありません。

でも、それが確認されたのがわりと最近なんですよね。

ヒデ
いかにバイアスというものが強固で、結果ありきで学者も色々なデータを見ているかってことの表れでもあるんですけど^^;

いずれにせよ、利己的な生き物は滅びやすく、脆弱な生き物だってこと。

それが社会的に滅ぶのか、生物学的に滅ぶのかは分かりませんが・・・。とにかく、周りと上手くコミュニケーションが取れないと生きにくくなっていくのは間違いないでしょう。

 

③人間として生きていくうえで

社会との交わりを一切絶ち、人類と訣別し、自己のみに目を向け、自己のためにのみ生きるなら、全ての熱意を欠いたその孤独の後に続くのは、なすべき(価値ある)ものの完全な欠如である。・・・長く生きた証にできるものが年齢以外にない老人は、稀な存在ではないのである。

 - アテノドロス -
(古代ギリシャの哲学者)

要約すると、

「世の中、ただ生きているだけの人ばっかりですよ!」

・・・と。

生きながら死んでいる。あるいは、死にながら生きている。

どっちが正しいかは分かりませんが、「そういう人ばっかりなんですよ!」ということは2000年以上も前から言われているわけです。

そして、ここで大事なのは、

「自分のためだけに生きている人は、いつか虚しくなる・・・。」

という前半部分。

自分のために生きられなくなった瞬間に、全てがぽっかりしてしまう。あらゆるものの価値が喪失して、虚しくなると言っているのです。

これは非常に恐ろしいことです。

虚無に襲われて何のために生きているのかが分からなくなってくる。つまり、人間ひとりぼっちでは生き続けられないということです。

ヒデ
よっぽど自己中の才能があれば別ですが・・・。

キリストの「人はパンのみにて生くるものに非ず」という言葉は有名ですが、やはり僕らは人間としてただ生命活動を維持していれば、それで満足なわけじゃありません。

人として生きていくことを考えたときに、この事態は大変な驚異とも言えるでしょう。

そういう意味でも、

「自己中に生きていけばそれで幸せだ!」

「別に引きこもって自分だけの世界で生きていけばいい!」

という考え方は誤りだと思います。

誰かとコミュニケーションを取る。または別のグループと交流しながら生きていかなければ、それが持続可能なものだとは到底思えないからです。

今回の話をまとめると、リーダーとしての観点から1つ、生物学的な観点から1つ、そして人間として生きるうえでも、コミュニケーションというものをなるべく早いうちにしっかりと根っこの部分から学んでおくべきなんじゃないのかなぁと思います。

また、コミュニケーション論の続編についてはこちらの記事で公開しています。

併せて読むことで、より理解が深まるはずです。是非じっくりと読んでみてくださいな。

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2019年7月30日
コミュニケーション能力

ABOUTこの記事をかいた人

矢島秀人(ヒデ)

現代社会のあり方に疑問を感じて、最強のフリーターを志す。独自の手法「ブッダ∞アフィリエイト」を実践し、2011年以降”ほったらかし”で月収7ケタ超え。現在は海の町で暮らしながら、主にネットビジネス・企業コンサル・FX投資などを行い、個人ビジネスの究極形を追求している。何モノにも媚びず、己の腕一本で食っていける知識をシェアしよう。