どうも、矢島ヒデです。
何やらTwitter界隈で、『マスメディアと洗脳論』がプチバズっているようですね。
ご紹介いただいた方々、本当にありがとうございます。引き続き、シェアまたは拡散していただけると大変嬉しいです。
ここまでの話で、私が一貫して伝えてきたのは、

ということ。
情報社会と言われて久しいですが、テレビや新聞、そしてインターネットには有象無象の情報が洪水のように溢れています。
さらに、各メディアの情報操作があからさまに行われている昨今、いかにして真実を見極め、自分や自分の周りの人間を守っていくのかが非常に問われる時代です。
情報社会とは、平たくいえば「情報を制する者が生き残る社会」。
しかし、無限にあふれる情報を正しく、かつ出来るだけスピーディに処理し、真実を見極めていくことは容易ではありません。
なぜなら、我々は『情報処理』に関する教育を一切受けてこなかったからです。
これらの正しい知識を持ち、正しく頭を使って行動できる”賢い国民”が増えてしまうと、大変お困りになる方々が少なからずいるようで、我が国では意図的に教わらないようになっています。
(ちなみに、これは陰謀論などとは全く別次元の話です。)
そのような人たちに騙されることなく、支配されることなく、踊らされることなく。本当に自分の頭で正しいと認めた『真実』を掴み取れるようになることが、当記事の目的となります。
ぜひ、最後まで読んでいただき、現代社会を生き抜くための糧にしてくれたら嬉しいです。
記事の目次
情報社会の問題点について考える

胡散臭いものに気づく
インターネットの普及により、今や情報が洪水のように溢れかえっています。
ネット時代の到来によって、テレビや新聞のような大手マスメディアが発信する情報だけでなく、世界中の個人や団体が発信する情報に誰でも手軽にアクセスできるようになりました。
つまり、ここ数年で我々がアクセスできる情報量は爆発的に増えたのです。
そんな社会を生きるうえで、気をつけるべきことは何なのか?
これはよく言われていることですが、

という事実をしっかりと抑えておくこと。
例えば、1万個の石があったとしたら、その中の一粒だけがダイヤで、残りの9999個は石ころといっても過言ではありません。
いかにして、石ころのような情報に惑わされず、排除していくことができるか。
これこそが、情報過多の時代に気をつけるべき非常に大きなポイントなんじゃないかなと思います。
それこそ、今回のコロナ騒動のようなことが起これば、真実に紛れて大量の嘘もバラ撒かれるだろうし、その”ネタ”に群がるハイエナのような人達もたくさん出てくるでしょう。
そのような時代において、有象無象の情報の中から、自らで必要な情報を取捨選択するスキルは欠かせません。
要するに、
「いかに胡散臭いものに気づけるか?」
ってことです。
例えば、ネットにしろ、テレビにしろ、新聞にしろ…。まぁ、どんなメディアでも共通して言えることですが、発信側が明らかにポジショントークしている場面って少なからずあります。

・・・みたいな。
その”結論ありき”っていうのも、1つの胡散臭さの元凶なわけじゃないですか。
必ずしもそれがダメという話ではないけれど、少なくとも一度はそういう目で疑ってみたほうがいい。
なぜなら、ポジショントークをするという行為は、その発信者が利益を得ることとセットだからです。その発信をすることで、たまたま利益になることなのか、あるいは利益を得るために何かを言っているかではだいぶ話が変わってきます。
その違いを見極めるためにも、巷で飛び交う意見に対して一旦態度を保留するような姿勢が重要になってくるわけです。
情報が増えるとバカになる
情報が増えすぎると、人間はバカになります。
僕はよく「情報の海で溺死する」という言い方をしますが、まさにそんな状態です。
わっと大量の情報が入ってくると、頭がオーバーヒートして処理できなくなり、最終的には思考停止しちゃいます。
なかには、
「自分はそんなことないよ!」
「冷静に物事を考えているよ!」
と思う人もいるでしょうが、それは多分気のせいです。
僕も昔は「自分はそんなことない」と思ってたクチですが、今にして思えばそんなこと全然ありましたから(笑)。
そう考えると、あと5年後とかに今を振り返ってみたら、やっぱりまだ頭のヒューズが飛んでる瞬間はあると思うんです。
人間、どこまで謙虚に自分を見つめられるかも1つ大事なポイントになります。
なので、自分だけは大丈夫なんて思わず、
「私も今踊らされているのかもしれない」
「私もヒューズが飛んでいるのかもしれない」
・・・と。
常に自分を真摯に観察していくような視点を、ぜひ持っておいて欲しいなぁという風に思います。
なぜ、人は怪しげな陰謀論を信じてしまうのか?

陰謀論=1つの物語
世の中には、陰謀論と呼ばれるものがあります。

一概に嘘ではないけれど、かといって全てが真実というわけでもない。
その見極めが非常に重要ですが、ただ1つ言えることは、巷で囁かれていることが全て『真実』であるということはあり得ない。
当然ですが、陰謀論にもウソとホントが混ざり合っています。
感覚としては、ある1つの陰謀論に対して、真実の割合はだいたい5〜10%くらいなんじゃないかと思います。
残りの90%くらいは1つの物語として作られており、それが非常によく出来ているため我々は何の疑いもなく信じてしまうわけです。
事実は小説より奇なり
ここで重要なのは、我々が生きている現実と物語の世界は全くの別モノだということ。
当ブログでも再三お伝えしていますが、現実とは論理を超越した世界であり、決してロジカルにはできていません。
社会はそこまで理知的にはできていないし、理に適っていることなどほとんどないといっても過言ではないでしょう。
だから我々は、
・嘘のような本当の話
・本当のような嘘の話
このいずれかに騙されるわけです。
当然ですが、平凡な事実であれば、それを面白いとは誰も思いません。それ以上にインパクトの大きい物語、つまり”嘘のような本当の話”、あるいは”本当のような嘘の話”に引っ張られるように人間の脳はできているのです。
特に、
・ロジックで物事が解決できる
・論理で全ての説明がつく
・ロジックが最も重要である
と信じて疑わない人たちは、後者の”本当のような嘘の話”によく騙されます。
なぜか?
ロジックというのは、本当っぽく聞こえるからです。
現実は全くロジカルにできていないにも関わらず、論理立てて説明されると妙に納得してしまうものです。
実際モノの本にも、「論理的に説明したほうが相手が納得しやすいし、我々はそれを真実とみなすことができる」という風なことが書かれています。
けれども、冷静に世の中を見渡してみると、ロジカルにできていることなんて何もないわけです。

嘘を見抜く方法
もっと言えば、
「辻褄が合いすぎている話は嘘!」
だと思うくらいで丁度いいです。
これはある種の人たちにとっては衝撃かもしれませんが、それがたぶん現実です。
辻褄が合い過ぎている、理路整然とし過ぎている、あまりにも綺麗に説明がつき過ぎている。
そういうものは大概ウソです。
これを知っとくだけで、巷の上手い話からは距離を取ることができるようになると思います。
なぜ、人は上手い話に騙されるのか?
それを嘘だと思わないからです。
では、なぜ嘘だと思わないのか?
綺麗に説明がつくからです。論理の飛躍がなく、一貫性がある話を人は信じてしまいます。
でも、現実はそんなに上手くはできていません。
そのため、全てが因果関係で繋がっているような理路整然たる話を聞いたら、一度は『怪しい』と思うような癖をつけてください。
そうしないと、色んなカモにされる危険性が高いからです。

先述した通り、巷でまことしやかに囁かれている陰謀論が全て『真実』であるということはあり得ません。
なぜなら、あまりに綺麗に説明がつき過ぎているからです。
クドいようですが、世の中そんなに辻褄が合うことばかりではないので、どこかに嘘を混ざて帳尻を合わせています。
もしかすると、当ブログの読者さんの中にも陰謀論好きな人がいるかもしれません。
とはいえ、「何が本当で何が嘘なのか?」という部分をしっかりと見抜けるようにならなければ、ただただ踊らされて終わってしまうので気をつけてください。
真実を見極める『目』を養う

①感情的にならない
自分の感情が動いているときは、目が曇っているときだという自覚を持ったほうがいいと思います。
例えば、怖いときだったり、怒っているときだったり、悲しいときだったり、嬉しいときだったり・・・。
何かしら感情が動いているときに出した結論は大体怪しいです。
日頃ニュースを観ていて、感情的にイラッとする場面があると思います。
とはいえ、イライラしている状態で物事を考えてしまうと、その感情に引っ張られてしまい、正しい判断ができなくなってしまうんですよね。

なので、できる限りニュートラルな視点で情報を判断するためにも、まずは感情が動かなくなるまでその情報を読み込んだり、聴き込んだりしてみてください。
そのうえで、情報を処理・解釈・理解することが重要です。
特に、喜怒哀楽が激しく動くようなものを判断する際は、これを行うだけで驚くほど情報の見え方が変わりますので。
心構えとして、ぜひ覚えておいてください。
②事実を抽出する
過去の記事でも書きましたが、我々が普段触れている情報は2つの要素で作られています。
それが、
・事実
・意見
です。
さらに、『事実』はざっくりと以下の5つに分けられます。
・揺るがすことのできない事実
・表面的な事実
・仮定的事実
・報告された事実
・希望的事実
このうち、1つ目の 『揺るがすことのできない事実』 以外は、あくまで事実のように見えるだけであって、確固たる事実とは言えません。
そのため、事実を見極めようと思ったら、まずは”事実候補”をいくつもあげて、それが事実か否かを判断する作業が必要になってきます。
事実のみを慎重に汲み上げて、一つ一つ仮説を立てて検証していく。この段階では、自分の意見や価値判断は脇に置いといてください。
なぜなら、最初に自分の意見ありきで、そこからその意見を裏付ける事実を掘り出そうとすると、思考にバイアスがかかってしまうからです。
すると、自分の直感が”正しい”という前提で色々な情報を取ってきて、どんどんと間違った方向に進んでしまいます。
バイアスに惑わされないためにも、リサーチによって集めた事実をもとに、そこから自分の意見を展開させるというプロセスを踏んでみてください。
補足:「事実」と「真実」の関係性
ここで1つ補足ですが、「事実」と「真実」は全く異なるものです。
なぜなら、事実とは単なる出来事に過ぎないからです。
例えば、法律に●●と書いてあるとか、×月×日に何が起こったとか、自然に起こる事象とか・・・。
それらが本当であるか否かを客観的に判断できるもの全般を指します。
とはいえ、その事実を汲み上げていけば、それが自然と『真実』になるかは全く別の話。
真実とは、ちょっと難しい言葉を使えば形而上学的な問題になってくるので、客観的に確認できないものであることが非常に多いわけです。
例えるなら、愛とか友情とか正義とか、そういった目には見えないものとよく似ています。
一方、事実は現実の中にあるものです。
そのため、事実をいくら積み上げたところで、それはあくまで”事実の集合体”に過ぎず、真実が突然ポワ〜ンっと浮かび上がってくるなんてことはあり得ません。
それらは、全く別のロジックなのです。

アメリカ人は、『民主主義』が最高のものであるという理念を持っています。
それは彼らにとっての真実であって、事実ではありません。
だから、それをパワーで無理やり事実に変えようとすれば、ああいうヒドい犠牲を払うことになるのは至極当然の話で・・・。
真実と事実をごっちゃにして、無茶苦茶なロジックで現実を動かそうとした結果が、今の中東の混乱なわけです。
先述した通り、法律の判例では事実を書きますが、真実は書けません。真実を語るのは形而上学であり、哲学なんです。
ちょっと余談になってしまいましたが、とにかく今の段階では事実と真実の棲み分けをきちんとおこない、事実に即してモノを考えるような癖をつけてください。
今自分が捉えた情報は事実として判断できるものか、それとも判断不能な真実か。これくらいは分かるようにしてください。
で、事実の領域に入ったものだけを検討するようにすれば、少しは冷静な情報分析ができるようになると思います。

③仮説を立てる
情報分析とは、情報の山をたくさん集めてきて、そこから自分なりの『仮説』を類推し、知識から知性へと昇華させていく営みのことです。
勘違いしないで欲しいのは、人が知らない、もしくは気づかないような秘密の情報がどっかに転がっていて、それを探し当てるようなものではありません。
あくまで、みんなが目にする”情報”というものをかき集め、そこから仮説を立てることで初めてその情報が有機的に結びついてくのです。
そして、これは人々が見えないものになります。なぜなら、仮説を立てた人が独自に組み立てた情報だからです。
あとは、その情報が正しいかどうか現実世界に照らし合わせて検証すればいいだけであって・・・。
とにかく、重要なのは『仮説』を立てることです。
情報を集めること自体、そこまで難しくないはずです。これだけネットが普及すれば、Googleの検索1つでズラーッと大量の情報が出てくるわけですから、誰でも簡単にできるでしょう。
しかし、問題はその先です。
仮説を立てなければ一歩も進めないにも関わらず、その仮説が立たないが故に、前に進むことができず、でも必死に進もうとして溺れてしまう。
つまり、自分なりの仮説を持たずに、必死こいて情報の海へ飛び込んでいくから、多くの人は溺死してしまうわけです。
補足:仮説の立て方
こういう話をすると決まって、
「仮説の重要性はわかりました」
「だけど、仮説の立て方がわかりません」
という質問をよくいただきます。

多くの方と会話をする中で1つ分かったことは、みんな仮説が立てられないのではなく、仮説が立った瞬間にそれを却下しているんですよね。
時には、とんでもない妄想のような仮説が立つことがあります。
例えば、
「これは宇宙人の仕業なんじゃないか」
とかね(笑)。
それに対して「いやいや、それはあり得ないでしょ!」と、その仮説が思いついた瞬間に多くの人は頭の中から消し去ってしまいます。
そして、そんなことを繰り返していくうちに、意識的に仮説を立てることができなくなってしまうのです。
でも、僕がここで強調したいのは、この段階ではあくまで仮説なのだから、質より『量』を重視すべきだということ。
なので、「これは宇宙人の仕業かもしれない」という考えも、一旦は仮説として脇に置いておくべきなんですよね。
(で、恐らく細かく検証していけば、それがほどなくして間違いであることが証明されるわけですが・・・。)
特に、最初のうちは周りからどんなに荒唐無稽だと思われるような妄想じみた仮説であっても、1つの説として保留しておく癖をつける。
そして、それを1つずつ丁寧に検証していくというステップを踏むことで、段々と仮説を立てることにも慣れてくるはずです。
クドいようですが、仮説を立てる段階ではその価値判断を一緒にやってはいけない、ということを肝に銘じてくださいね。
最後に
陰謀論とは、1つの仮説です。
仮説である以上、その物語のパターンは無限にできてしまいます。
それこそ、100人いたら100通りの話ができるので、身も蓋もないことを言ってしまえば、永遠に仮説と検証が終わらないわけです。
とはいえ重要なのは、どこかに確固たる『正解』が転がっているわけではないということ。
情報処理とは、自分が考えうる範囲の中で、最も妥当性が高いものを暫定的な正解として持っておく、という全く捉えどころのない営みなのです。
しかし多くの人は、その事実を検証するわけでもなく、自分なりの仮説を立てるわけでもなく・・・。
ただただ情報を鵜呑みにし、いいように踊らされています。
でも、それは政府やメディアが100%悪いわけではありませんからね。踊らされている我々が、踊らされない努力をしないのも同じように悪いのです。
確かに、陰謀論は面白いかもしれません。でも、それは映画みたいなもので、そのくらいの感覚で付き合っていくべきものです。
当たり前ですが、疑いすぎもダメだし、信じすぎもダメ。
まずは、余計なフィルターを取り除き、目の前の現実を”あるがまま”に捉えるという姿勢を忘れないで欲しいなぁと思います。
また、今回の記事に多少なりとも共感してくれた方は、SNSなどでボソボソっと気軽に呟いていただけると大変嬉しいです。
まぁ、そんなところで今回はお終いにしようと思います。質問や疑問などあれば、こちらからドシドシと送ってくださいね。
以上、最後まで読んでくれてありがとうございます。