どうも、矢島ヒデです。
今回は、世の中でめちゃくちゃ誤解されまくっている『努力』の定義について語っていきます。
というのも、
「普段、何気なく使っている”言葉”にどんな意味を込めるのか?」
それによって、物事の捉え方って全然変わってきちゃうんですよね。
そして多くの場合、努力という言葉をめちゃくちゃ誤解しているから、努力がとても苦しいものになってしまうのです。
当然ですが、苦しいことは長続きしません。
『継続は力なり』という有名な言葉もある通り、長続きしなければ、自分の望む結果を手に入れることも難しいでしょう。
そこで今回は、
「本当の努力とは何か?」
「一体、何のためにするのか?」
という部分を掘り下げて考えていこうと思います。
是非、じっくりと読んでみてください。
記事の目次
努力の本質とは?

努力の意義について
基本的に、僕は自分のコミュニティメンバーに対して、
「みんなで頑張ってこうぜ!」
と、ずーーっと言っているわけですが。
そもそも、なぜ努力をしなければいけないのでしょうか。
努力の意味について、辞書で調べてみると以下のように書かれていました。
【努力】
ある目的のために力を尽くして励むこと。骨を折ること。

本当の努力とは、
「何かを得るという”結果”以上に、自らの行動が自分の人生を創っているという”自由”を実感する意義のほうがはるかに大きいんじゃないか」
と考えています。
少し分かりにくいと思うので、詳しく話していきますね。
多くの人は、努力をするときに、”何かを得るため”にやることだと考えがちです。
でも、そうじゃない。
努力をしている瞬間というのは、その自分の行動が、自分の人生を創っている瞬間だと思うんです。
つまり、その瞬間に人間は”自由”になれます。
なぜなら、そこには自分で選択する自由があり、自らの人生を自分自身の力で切り開いていくことができるからです。
努力をすることで、
「何が得られるのか?あるいは得られないのか?」
というのは、あくまで副次的な問題であって。
それ以上に、
「俺は今、自分の人生を創っているぞ!」
と、実感する意義のほうが何百倍も重要なことではないかと思うのです。
本当に努力は裏切らないのか?
世の中には、努力しても全然報われない。一生懸命頑張っても成果が出ないと嘆く人がたくさんいます。
もちろん、努力しても叶わないことは世の中に山ほどあるでしょう。
でも努力したことによって、自分への自信が持てたり、意思の力が強くなったり、あるいは素晴らしい出会いがあったり、何らかの結果って必ず生まれるんですよね。
だから、そういう意味で”努力は絶対に裏切りません”。
例えば、僕は10代半ば〜20代後半まで、人生の全てを賭けてサーフィンに打ち込んでいました。
で、めちゃくちゃ頑張ったけど・・・。
結局、プロにはなれませんでした。それどころか、全国大会で優勝することもできませんでした。当然、夢も叶いませんでした。
つまり、サーファーとしては一切結果が出てないんですよ。
だからと言って、僕は努力に裏切られたとは思っていません。
なぜなら、その没頭した瞬間があるからこそ、今の自分が存在しているから。
それこそ、ピンチのときも決して諦めない強さとか、何事も最初から上手くはいかない現実とか、人より上達するには圧倒的なコソ練が必要だとか・・・。
こういうことって、別に誰かに教えられて理解できるようなものじゃありません。
あらゆる経験を通して、自分の中で築いていくものだと思います。

努力とは、何かを欲することではなく”選ぶこと”。

自分の人生を創る
多くの人は、何らかの結果を求めて、
「それを得るために、どんな努力をしなければいけないのか?」
という視点で、世界を捉えています。
だから、僕のところに相談に来る人たちも、


と、決まって聞いてきます。
確かに、その気持ちは分かります。そして、結果にフォーカスするのも大事なことではあるんだけど、それ以上に何かに打ち込んでいるってことが重要なんですよね。
つまり、何かを欲することと、何かを選ぶことは全く違うということです。
でも大半の人は、欲するだけ。例えば、たくさんお金が欲しいなぁとか、将来はセミリタイア生活をしたいなぁとか、可愛い彼女が欲しいなぁとか・・・。
とにかく欲するところで、止まっているわけです。
そして、欲する人というのは、あくまで結果を求めているだけだから、努力はなるべくしたくないと考えています。
努力なんて辛くて苦しいものだから、簡単に結果だけ手に入るならそれが一番いい。
そんな甘い考えを抱きがちです。
でも、それって自分で自分の人生を創ってないですよね。
それは、ある意味で”何かに縛れている生き方”だと思うんです。
自分で選択するという生き方
では、本当に自由な生き方とは何でしょうか?
僕は、その問いに対して、
「自ら課したルールに従っているときこそ自由である」
と考えています。

だって、一般的に僕らの考える自由ってルールに縛られないことですから。
でもね、何のルールにも縛れないということは、言ってしまえば動物と同じなんですよ。
確かに、彼らは自由気ままに生きているかもしれません。
だけど、”人間らしい自由”とは少し違います。
なぜなら、人間らしさの特徴の1つとして、『未来思考』ということが挙げられるからです。
僕らは、常に何かを判断しますよね。で、その判断って必然的に未来に向かっていくものです。
例えば、今日は英語の勉強をしようと決めたとする。それを決めたのは今だけど、その判断は未来へと向かっています。
(この未来に向かう判断が、「動物には全く出来ないか?」というと、そんなことは多分ないんだろうけど・・・。)
人間らしさの特徴が、僕はここに強く現れていると思うんです。
そう考えると、人間だけに許された自由とは、
「自分で決めたルールに、自分の意思で従っていくこと。」
であり、そのためには自ら選択することが何よりも重要になってきます。
そして、そういう活動を繰り返すことによって、本当の意味で自分の人生を創っていくことが出来るんじゃないかと思うのです。
選ぶ人=努力する人
先述したとおり、何にも縛られず結果だけを求める人生とは、言うなれば”動物”と一緒です。
一方、自らの意思で選択する人は、人生をより主体的に生きていくことができます。
で、その過程として努力があるだけで、別に嫌なことを我慢しながらやっているわけではないんですよね。
むしろ、好きなことを継続してやるという感覚のほうが近いのです。
例えば、僕は毎朝”ジョギング”をする人生を選んでいます。
とはいえ、別に世界一速いランナーになりたいわけではないし、僕が走ることで誰かの役に立つわけでもありません。
でも、ずっと走り続けるんです。なぜなら、自分でその道を選んだから。
もちろん、ジョギングをすることで、体が鍛えられていくことは嬉しいことかもしれません。
だけど、それ以上に自分で自分をコントロールしているという感覚が、僕にとってはとても大事。
つまり、走ることによって、
という確かな実感が得られるわけです。
自分が望むスピードで、自分が望む距離を、自分が望むやり方で・・・ただ走っている。
ごくごく単純かもしれませんが、その物凄く単純なことをするだけで、自分が生きている実感を取り戻すことができます。
それによって、自らの選択で『自分の存在』と『自分の自由』をこの世界に表明していけると思うんです。
結果よりもプロセスを楽しもう!

結果を求め過ぎない
もちろん、結果は大事ですよ。
だけど、そこに到達するまでのプロセスで得られるもののほうが、はるかに大きいと思います。
例えば、世間でいう一流大学出身の人と話してみて、
「この人って、本当に賢いかなぁ・・・。」
と、疑問に思うような人ってたくさんいますよね。
一方、高卒でも、下手に大学を出ている人より、はるかに知性やモラルを感じる人もいるわけです。
これは、もちろん偏差値教育の弊害も孕んでいるんだろうけど、それ以上に大きいのは『動機』の問題です。
つまり、大学に入るという単純な結果だけを求めて勉強した人と、ただ賢くなるような生き方を選んできた人の違いだと言えるでしょう。
前者と比べて、後者は主体的です。
周りの評価に振り回されるのではなく、まずは自分で選択する自由を手に入れて欲しいと思います。
日々やるべきことを続けていれば、自然と結果はついてくるものですから。
結果重視の危険性
そもそも論として、金銭面であろうと、健康面であろうと、人間関係であろうと・・・。
あらゆる面において、何かで結果を出そうと思ったら、”短期的な成功”と”長期的な成功”の二通りがあります。
で、多くの人は短期的な成功を求めがちです。
しかし、
・短期的な成功を得るためのプロセス
・長期的な成功を得るためのプロセス
この2つは全く異なるものです。
それこそ、真逆だといっても過言ではありません。
例えば、ビジネスでいえば10年間で3億円稼ぐのと、1年間で3億円稼ぐのでは全く戦略や方法論が異なるし。
ダイエットでいえば、1ヶ月後に体脂肪を10%落とすのと、1年かけて10%落とすのでは全くやり方が違います。
そして大抵、目先の利益を得るために、未来の利益を犠牲にしてしまうケースが非常に多いんです。
でも、それは本質ではありません。
何事も大きな結果を出したいのであれば、短期的な欲求を遅らせ、長期的に物事を考えていくことが何より重要になってくるからです。
言い換えれば、プロセスを重視することで、より長期的な結果を得ることができるのです。
つまり、
・結果重視=短期的、近視眼的
・プロセス重視=長期的、多角的
とも言えます。
それこそ、銅像で有名な二宮金次郎ではないけれど、

ぜひ、短絡的な結果を求めて努力するのではなく、自らの人生を自分でデザインするために努力をして欲しいなぁと思います。
最後に
今回は、努力の意味を再定義することで、「欲すること」と「選ぶこと」の違いについて考えてみました。
欲する人生とは、”結果のみ”を欲しがる人生です。
それによって、長期的な努力を続けることが難しくなり、期待する結果が得られなかったときに大きなショックを受けてしまいます。
で、最後はドロップアウトしてしまうのです。
逆に、自らが選択して、本当に望むことをやり続けていれば、そもそも努力なんて意識する必要もないわけで。
それが最終的に、遠回りのようで、実は成功への最短ルートになるのです。
ぜひ、そういう感覚を少しでも身につけて欲しいと思います。
また、何をやっても長続きしないという方は、こちらの記事も参考にしてみて下さい。
きっと何かしらヒントが見つかるはずですよ。
それでは、今日はこの辺で。
以上、最後まで読んでくれて本当にありがとうございました。