【幸福論3.0】人間はいかにして本当の幸せを得られるのか?

幸せの定義

どうも、矢島ヒデです。

突然ですが、

「あなたにとって幸福とは何ですか?」

「どうやったら幸せになれると思いますか?」

と尋ねられたら、一義的な定義をパッと答えられる人はきっと少ないはずです。

それ自体、別に大した問題じゃないんだけど、この問いに対する自分なりの何かがなければ、そもそも生きていく指針を持つことは難しいのではないかと思います。

幸福ってこういうもんだよね、という考えが多少なりとも自分の中にあるからこそ、我々は「こう生きていこう」「こんなことをしよう」「あれはやめとこう」みたいな判断ができるわけです。

そういう意味では、多くの人がこの幸福というものに対して、グルグルと堂々巡りしている状況はちょっともったいなぁと感じるんですよ。

そこで、今回はあくまで理性的かつ科学的な観点から『幸福の正体』について考察してみました。

ヒデ
ちなみに、この記事は幸福に対する明確な『答え』の提示を目指すものではありません。一つの材料として、自分自身の頭で考えるためのヒントを示せればなぁと思ってます。

『本当の幸せ』を科学的な視点から考えてみた。

本当の幸せとは何か

ハーバード大学の研究成果

ヒデ
ハーバード大学で、史上最も長期に渡って行われた非常に興味深い研究があります。75年間724人の人物を追跡して、「人間が幸福と健康を得るために本当に必要なものは何か?」を調査したのです

詳しい研究内容はコチラからご覧ください。

この結果、我々人間を健康で幸福にしてくれるものは、

「素晴らしい人間関係に尽きる」

ということが明らかになりました。

実験当初、多くの人が幸せになるためには富や名声、地位、趣味などが必要だと思い込んでいました。

しかし、それらと実際の幸福度には全く因果関係が見られなかったわけです。

さらに興味深いのは、例えば家族がいたり、友達の数が多かったり、多くの同僚に囲まれていたりするからといって、必ずしも幸せになれるとは限らないということ。

いくら周りに沢山の人がいても、上辺だけの形式的な繋がりでは意味がありません。

そうではなく、人生を通して本質的な人間関係を築けている人ほど、生涯健康で幸福度も高いことが分かったのです。

 

孤独と健康リスク

さらに補足すると、この研究の結果、孤独な人ほど短命で健康レベルが低いことが明らかになりました。

例えば、肉体的な衰えが早かったり、若いうちからボケ始めたり、自分の行動を理性的に制御する機能が弱まったり・・・。

これ自体は医学的にも周知の事実で、体力や知的機能よりも感情機能のほうが先に衰え、感情が老化することでボケも始まり、体も見た目も老け込んでいくことが立証されています。

つまり、孤独は致命的な『害』になり得るということです。

ヒデ
これは恐らく、『人間が社会的な動物である』と昔から言われている一つの所以だと思います。

我々人類は、約700万年の歴史の中で、その大半(699万年くらい?)は一定の集団を作らなければ生き抜くことができない厳しい環境下に置かれていました。

そのため、集団を作るという機能が遺伝子レベルできっと組み込まれているのでしょう。

あくまで推論ですが、人間は集団に属さなければ滅びてしまう存在だったため、とにかくそれを最優先するようなメカニズムが元々備わっているんじゃないかなぁと思うんですよね。

 

実体験から言えること

とかく若いうちは、

「周りと群れるなんてカッコ悪い!」

「俺は独りでも生きていけるから平気だ!」

という風に考えがちです。

かくいう私も、約半年間ほとんど誰とも会わず、ひたすらFXや株の研究にのめり込んでいた時期があります。

毎日3時間ほどの睡眠で、朝から晩までずっとチャートとにらめっこする日々。数々の試練がありましたが、最も精神的に辛かったのは一人ぼっちの『孤独感』でした。

当時どれくらい孤独だったかと言うと、自宅前に停めている愛車にトラックが猛スピードで突っ込んできて、車の側面がベッコリと潰れてしまう事件がありました。

部屋で1人黙々とチャートを見ているとき、近くから「ドッカーン!」と尋常とは思えない爆音がして、即座にインターホンが鳴ったので何事かと思い外にふらっと出てみたのです。

すると、私の車がぶっ潰れているじゃないですか(笑)。

玄関先で、

「すみません、ブレーキが効かなくて突っ込んでしまいました!」

と若いドライバーが申し訳なそうに謝る姿をみて、自分の中で不思議な感情が芽生えているのに気づきました。

普段なら激怒してもおかしくない状況の中で、

「あ〜、人と会えて本当に良かった!」

「我が家を訪ねてきてくれて、ありがとう!」

と、心の底から思えたのです。

ヒデ
当時は、そこまで深く認識していませんでしたが、異常なほど精神が蝕まれていたんだと思います。

 

孤独の矛盾

以前、僕は孤独の重要性について散々強調してきました。

孤独

克服するな!孤独をパワーに変える5つの方法

2017年10月18日

記事の中で、人は孤独になるからこそクリエイティビティが発揮されるし、そもそも孤独に耐えられなければより良いものを生み出すことは難しいんだ、という風なことをゴリゴリに書いていたと思うんですが・・・。

もちろん、一般的な幸せよりも、歴史に残るような偉大な何かを成し遂げたり、人より抜きん出た成果を出したりすることに重きを置くのであれば、孤独な時間をなるべく増やした方がいいのかもしれません。

確かに、馴れ合いばかりで生きていたら、卓越性は発揮されず、ぼんやりとした生き方しかできないのは事実でしょう。

しかし、同時にそのバランス感覚を失ってしまうのは非常に危険なこと。

先述した通り、社会的な繋がりが一定以上希薄になると、人は幸福からどんどんと遠ざかってしまいます。

そのため、幸福を人生の目的として掲げるのであれば、孤独がもたらす重大なリスクについてもしっかりと認識しておかなければいけないのです。

『本当の幸せ』を哲学的な視点から考えてみた。

幸せの定義

存在論

ヒデ
前半とはちょっと視点を変えて、『存在論』の立場から幸福について考えてみたいと思います。

存在論とは、読んで字の如し存在とは何かという根本問題を研究する学問。哲学的な問題に対して、存在を追求することによって紐解こうとするものです。

例えば、

「○○は存在しているか否か?」

「××が存在しているなら、なぜ存在しているのか?」

「☆☆が存在していないなら、なぜ存在していないのか?」

等など、一般的には不毛とも言われるようなことを延々と考え続けていくわけですが・・・。

僕自身は、存在論を全く不毛だと思ってなくて、幸福について考えるうえで必要不可欠な分野だと感じています。

 

アランの幸福論

独りでいる限り、人は『自分』であることができない。

    - アラン -
(フランスの哲学者)

これは20世紀を代表する哲学者、アランの言葉です。

この感覚は、世界的に有名な『夜と霧』の著者であり、強制収容所から奇跡的な生還を果たしたユダヤ人のヴィクトール・フランクルが主張する、

「あらゆる存在は関係存在である」

という概念にも通底していると感じます。

この言葉は文字通り、”全ての存在とは関係性があって初めて成り立つもの”だと解釈してくれれば問題ないでしょう。

端的に言えば、別のものと一切関係がない存在はあり得ないということ。つまり、何らかの関係があって、初めてその存在が浮かび上がってくるという発想です。

【他在】
ヘーゲル哲学では、この感覚を『他在』という言葉で表現します。他在とは、あるものと対立しながら、あるものと切り離しえない形で限定しあっている存在のことです。

例えば、一般的な感覚であれば、

「存在Aがある、存在Bがある。その2つが出会うことで関係が起こりうる」

という風に解釈するじゃないですか。

でも、他在の感覚は少し違います。

「最初に関係が作られるからこそ、AとBの存在が浮かび上がってくる」

という感じで捉えるのです。

だから、もし何の関係性も持たず、Aだけがポツンと世界に存在していたら、それはAとは言えないということ。

なぜなら、それを証明する手立てが何もないからです。

そうじゃなく、Aがあって、Bがあって、Cがあって・・・という中にポンッと置かれているからこそ「あ、これはAなんだ!」と認識できるわけです。

これが”存在”に対するフランクルの立場であり、彼はこれを端的に「私たちは問われている存在である」という言葉で表しています。

ヒデ
若干抽象的な表現になりますが、「存在感の関係が存在そのものに先行している」ということです。

 

幸福の追求

ここまでの話を踏まえると、我々は同じ空間で他の人々(モノ)と繋がっているからこそ、自分の存在を実感できると言えます。

少し分かりにくければ、これを『社会的存在(=他在)』という言葉に置き換えてもらっても構いません。

例えば、僕が『矢島秀人』という存在であるのは、最初からそのように生まれてきたわけじゃなく、あらゆる社会との関係性の中で初めて『矢島秀人』という存在が作り上げられるということ。

つまり、他在がなければ、自分の存在自体も実感できないわけです。

ヒデ
そう考えると、誰かのために何かをするという行為が、決して綺麗事じゃないことも理解できるはず。

だって、そうじゃないですか。

世界と自分は全くの別モンだという感覚で生きていると、誰かのために何かをするという行為も「結局は自分の利得や見返りのためにやっているんでしょ?」という話になってしまいます。

しかし、この他在の感覚が分かってくると、誰かが良くなれば自分も良くなるし、反対に自分が良くなれば誰かも良くなるのは至極当然なことだと思えてきます。

これについては、アランも『幸福論』の中で以下のように記していました。

(あなたが)幸福になることはまた、他人に対する義務でもある。

    - アラン -
(フランスの哲学者)

要するに、

「あなたが幸せになれば、周りの人間も幸せにすることができる」

「だから、我々は幸せにならなければいけない」

と解釈できます。

つまり、自分の幸福を追求していけばいくほど、必然的に世界も良くなっていくというロジックなんですよね。

そして、これは決して誰かのために自分を犠牲にするという話ではなく、自分の幸せの延長線上に社会の幸せがあるという高尚な哲学のうえに成り立っているのです。

自分なりの幸福について考える際も、是非このような視点を多少なりとも持ってもらえると良いんじゃないかなぁと思います。

最後に

今回は、科学と哲学的な視点の両面から『幸福』について考えてみました。

どちらも共通して言えることは、人間独りぼっちでは幸せになれないということ。

本文でも書きましたが、我々は家族や友達、コミュニティとより良い関係を築くことでのみ幸せに生きることができます。

逆に、それを蔑ろにしてしまうと、恐ろしい未来が待っている危険性が高いと言わざるを得えません。

ちなみに、経済協力開発機構 (OECD)の調査によると、諸外国に比べて日本はひときわ社会的孤立者が多いとされています。

しかし、これだけは断言できます。

ヒデ
幸せな人生は、良好な人間関係があってこそ!

我々人類は、周囲と心を通い合わせ、自分が確かにこの世界に属していると実感するとき、本当の幸せを感じることができるのです。

別に、これを唯一の『正解』として押し付ける気はさらさらないけれど、僕はこういう前提で色んな活動をやっていきたいなぁと思ってます。

皆さんも、是非この機会に自分なりの『幸福論』について考えてみてください。

以上、最後まで読んでくれてありがとうございました。

幸せの定義

ABOUTこの記事をかいた人

矢島秀人(ヒデ)

現代社会のあり方に疑問を感じて、最強のフリーターを志す。東日本大震災を機に自立を決意、独自の手法「ブッダ∞アフィリエイト」を実践、2011年起業。現在は海の町で暮らしながら、主にネットビジネス・企業コンサル・FX投資などを行い、個人ビジネスの究極形を追求している。波乗りと旅と平和が好き。