【マスメディアと洗脳論③】テレビによる恐るべき”洗脳手法”の実態

マスメディアの洗脳

日本人はバカばかりだから、我々テレビ人が指導監督してやっとるんです。

    - 井上弘 -
(TBSテレビ名誉会長)

今日も社会の闇を暴いちゃうよ。

ども、ヒデです。

僕らはマスメディアから、日々膨大な情報を受け取っています。しかし、それがどのような悪影響をもたらすかについては、あまり知られていません。

そこで今回は、マスメディアが行う”洗脳手法”について解明していこうと思います。

また、後半では”大衆から抜け出すためのヒント”についても言及しているので、じっくりと読んでみてください。

ちなみに過去記事を読んでない方は、こちらからどうぞ!

マス対コア

【マスメディアと洗脳論①】教育と洗脳の違いとは何か?

2019年9月10日

世論形成

【マスメディアと洗脳論②】世論はどうやって形成されるのか?

2019年9月18日

捏造された真実を撒き散らす”マスメディアの功罪”

テレビのマインドコントロール

どんな人でも多かれ少なかれ、テレビを観たり、新聞を読んだり、雑誌を眺めたり、日々さまざまな情報に触れています。

その発信源であるマスコミは、大衆に飽きさせない、気づかせない。そのために、ありとあらゆる手法を用いて人々の興味を惹きつけようとするわけです。

ざっくりといえば、以下のような感じで。

 

①「みんなが見ている」という暗黙の状態を作り出す

マスメディアから垂れ流される情報は、画一的とまでは言わないまでも、似通ったものになりがちです。

そして、皆に同じような情報を与えることで、

「○○は☆☆である!」

「✕✕の意見に同調しなければいけない!」

という空気をマスコミが意図的に作り出しているのです。

例えば、各局一斉に同じような報道をしだすというのも1つの手。

そうやって足並みを揃えることで、「あ、みんな●●に関心があるんだ!」「世の中ってこういうもんなんだ!」と皆が同じような価値観を持つようになり、そこに多様性が見られなくなっていく。

これは、大変危険な兆候だと感じています。

 

②斬新さ、わかりやすさ、楽しさ、刺激などを加える

例えるなら、これは食品添加物のようなもの。

料理と一緒で、テレビ番組も同じ味付けばかりだと飽きちゃいますからね。

そこで旨味調味料をパッパッと振りかけることで、

”そこまで楽しくはないけど、何となく見てしまう!”

という低俗な番組を大量に作り出しているわけです。

クダらない番組ばかり観ていると、人は物事を深く考えなくなり、日常のちょっとしたことにも疑問が湧かなくなったり、自分の意見を持たなくなったりします。

つまり、バカになっていくのです。

少し乱暴にいえば、マスコミは音声や映像、文字情報などを巧みに使い、ある種の独占をしている状態だと言えるでしょう。

 

①+②=偽りの真実

テレビは洗脳装置。嘘でも放送しちゃえばそれが真実。

    - 井上弘 -
(TBSテレビ名誉会長)

これは、TBS入社式での会長挨拶の一部を抜粋したものです。

他にも、彼はこんな発言をしていました。

井上弘
社会を支配しているのはテレビ。これからは私が日本を支配するわけです。

テレビ、新聞、雑誌等など・・・。

これらのメディアを一部の権力者たちが独占し、大多数の人間がそれを消費する(受け入れる)ことによって、偽りの真実が作られていく。

そして人々は「本当の真実とは何なのか?」ということを考える暇もなく、どんどんと真理を探求する意識を失っていくのです。

特にお人好しで、自分の頭で考えようとしない日本人は、マスコミにかなり誘導されている側面は否定できないでしょう。

ヒデ
これはマクドナルドを食べ過ぎたら、すぐにメタボになって死んでしまうのと一緒です。

大して面白くもないのに、表面的な目新しさがあるから人々はついつい観てしまう。その繰り返しで、この業界は何十年も続いてきたわけです。

そもそも、民間のテレビ局というのは、ある種の刺激的な事件を報道し、それを多くの視聴者に見てもらい、そこで得られた視聴率を元にスポンサーから収益を得ています。

要するに、マスコミは事件を”食い物”にしているに過ぎないのです。

もちろん、全ての番組がそうだとは言いませんが、マスメディアにはそういった側面があるということも頭の片隅に入れておくべきだと思います。

テレビによる恐るべき”洗脳手法”を暴く!

テレビによる洗脳手法

①リテラシーの単純化

では、どうやってマスコミは人々を洗脳していくのでしょうか。

その代表的なものとして、

”ヴィデオシーの複雑化+リテラシーの単純化”

が挙げられます。

ヴィデオシーとは映像や音響のこと、リテラシーとは文字や読み書きのことです。

まず、テレビでは刺激に満ち溢れたハデな映像や音をわーっと流し、我々の脳をフリーズさせます。

人間の脳というのは、複雑で断片的で多様な映像や音を絶え間なく注がれると、情報量が多すぎて処理できなくなり、何となくぼーっとテレビを観るようになってしまうのです。

いわゆる、思考停止状態ですね。

そこで、頃合いを見計らって、極度に単純化され、全てがキャッチコピー化された文字情報を視聴者に”ポンポン”と一言二言だけ与え、それを固定化する。

イメージとしては、15分くらいの映像をずーーっと流したあとに、

ニュースキャスター
〇〇は✕✕です!

と言われると、それは不思議とそうなっちゃうんですよね。

吟味できないほど大量の情報が入ってきて、脳がキャパオーバーになってしまい、考える余地すら与えられません。

そして、これを繰り返すことで、与えられた情報をそのまま受け入れてくれる善良な国民、いわゆる思考停止状態の人々をたくさん作っていくわけです。

これは非常に恐ろしいことです。

そんな理由もあって、僕はテレビをあまり観なくなったんですよね。

ヒデ
これがマスコミと呼ばれる組織が、こっそりと番組のバックグラウンドで実践していることなのです。

 

②権威主義・大衆性の悪用

今まで述べきたことに、

・権威主義
・大衆性

この2つのスパイスを加えることによって、人々の支配・操作はより盤石なものになります。

まず権威主義とは、

「親が言っていることは間違いない!」

「先生の言っていることは正しいんだ!」

という単純な発想のこと。

つまり、

「メディアが言っていることは正しい!」

「専門家が言っていることは正しい!」

と思い込んでしまうことです。

我々が大衆性を帯びれば帯びるほど、メディアは意図する必要もなく、ただ情報を垂れ流しさえすれば、勝手に人々が信じてくれるので非常にありがたいわけです。

洗脳されたくないなら大衆心理から脱却しよう!

大衆論

大衆とは?

大衆とは、無個性で周囲の人間と同じだと感じ、しかもそれを苦痛に感じない、むしろ満足感を覚える全ての人々。

    - オルテガ -
(スペインの哲学者)

”大衆論”について書かれた本はたくさんあります。

そのなかでも、オルテガの『大衆の反逆』はわりとおすすめなので、ぜひ機会があれば読んでみてください。

オルテガの言っていることを要約すると、

「みんなと同じが最高!」

「自分の主義主張なんて何もない!」

「みんなと同調したい!」

という人達のことを大衆と呼んでいるわけです。

あるいは、フランスの心理学者ル・ボンは、以下のような言葉を残しています。

大衆は弱い権力には常に反抗しようとするが、強い権力には卑屈に屈服する。

大衆は言説の論理に感動するのではなく、ある言葉が作り出す響きやイメージに感銘する。

   - ル・ボン -
(フランスの心理学者)

気づいた方もいるかもしれませんが、これは先ほど言及した、

ヒデ
極度に単純化され、全てがキャッチコピー化された文字情報を与え固定する!

という特徴にバッチリと当てはまっています。

彼に言わせれば、大衆とはキャッチコピーみたいな分かりやすい言葉にしか反応しませんよ、と。

しかも、弱い勢力にはすぐに反抗しようとするけれど、強い勢力には卑屈に屈服する、という風に解釈しています。

つまり、脆弱な知性しか持たない大衆というのは、どんな情報に触れたところで、それが『教育的価値』を持つことはほぼないと言えるのです。

 

大衆でいる限り洗脳の域を出ることはない

前回の記事でも書きましたが、仮に同じ『A』という情報に触れたとしても、ある人にとってはそれが教育になり、ある人にとってはそれが洗脳になります。

マス対コア

【マスメディアと洗脳論①】教育と洗脳の違いとは何か?

2019年9月10日

そして、大衆というのは出来合いの真実だけを受け入れ、それを吟味することをしようとはしません。

なので、大衆から抜け出せた人はあらゆる情報に教育的な価値を持たせることができるし、反対に大衆でいる限りはどんな情報を得てもやはり洗脳の域から出ることは難しいと言わざるを得ません。

結局のところ、大衆は自ら可能性を閉ざしているに過ぎないのです。

では、一体どうしたら洗脳から教育への道は拓かれるのか?

それは、単純に我々が大衆を脱する以外に道はないと思っています。

つまり、この枠組みを飛び出すことができれば、あらゆる情報が教育的な価値を持ち、可能性を拓くものとして受け止められるようになるのです。

では、そのためにはどうすればいいのか?

以下で、その具体的な方法について書いていきます。

 

「洗脳」から「教育」へ

ここまでの話を統合すると、

・「洗脳」を「教育」に変えるためには、何よりもまず我々が脱大衆しなければいけない。
・「自我」と「知性」を磨く必要がある。

という2つの結論を導けます。

我々の知性、自我を磨くことによってのみ、全ての情報を洗脳から教育へと変えることができるのです。

で、最初のステップとして、前回の記事で紹介した”4つのイデオロギー”というものを吟味するところから始めてみるのが一番手っ取り早いです。

【4つのイデオロギー】
①平和主義→平和が一番大事
②民主主義→民主が一番大事
③進歩主義→進歩が一番大事
④人間主義→人間が一番大事

ヒデ
どうやって脱大衆しようかと漠然と考えるよりも、この枠を直接的に出るような考えを深めていくほうが確実だと思います。

まずは思考訓練として、平和主義を疑う、民主主義を疑う、進歩主義を疑う、人間主義を疑う。ってな感じで、この4つのイデオロギーを徹底的に疑ってみる。

とりあえず、そこから始めることを足掛かりとしておすすめしています。そして、その思考パターンに慣れてきたら、他の領域にも手を伸ばしていけばいいと思うんです。

で、それを考える際に、

”知性の4つの軸”

というものを意識してみてください。

そうすることで、より正しく思考できると言ったら多少傲慢な言い方になってしまいますが、大きく本筋から外れることはないんじゃないかと考えています。

知性を磨くうえで考慮すべき「4つの軸」

知性の鍛え方

①虚無主義

僕らが知性を磨く際に、基準として考慮すべき4つの軸があります。

その1つ目が『虚無主義(ニヒリズム)』。

虚無とは、この世には何もなく、そこに存在する全てのものに価値や意味を認めないことを言います。

ヒデ
分かりやすく言えば、「神も仏もあるもんか!」という状態ですね(笑)

 

②狂信主義

虚無主義の真逆に位置するのが、『狂信主義』です。

狂信とは、正常な判断力を失うほど、強烈に何かを信じ込むこと。

「神様は絶対にいる!」「自分が絶対正しい」など、狂ったように何かを盲信している状態です。

これに関しては、こちらの記事で詳しく書いているので併せて読んでみてください。

たちが正しい場所に花は咲かない

わたしたちが正しい場所に花は咲かない

2019年10月4日

 

③衝動主義

衝動とは、大した目的もなく、場当たり的に行動することです。

日常的に使われる『衝動買い』というのも、よく考えず思いつきでわーっと欲しいものを買ってしまうことを言いますよね。

それと一緒で、

「え、もしかしてこれスゲー発見じゃね??」

とか思ってしまうようなことを衝動主義といいます。

 

④合理主義

衝動主義の反対語にあたるのが『合理主義』です。

いわゆる、ロジックで考える、理屈で判断する、筋道を立てて一歩一歩進んでいく。

感情を一切排除し、物事を理性的に割り切って考えることで、常に効率性を求めるのが合理主義者の特徴になります。

 

4つのバランス重視する

ここで重要なのは、どれも行き過ぎたらダメってこと。

物事を考える際に、虚無的になり過ぎてもダメだし、じゃあ妄信的になったら良いのかといえばそれも違う。

こちらの記事にも書きましたが、行き過ぎた狂信主義に陥ってしまうと、正義と正義のぶつかり合いになり、結果的に争いが起こってしまいます。

じゃあ、衝動的になれば良いかというと、それでは真理から遠ざかる。その場の感情だけで動いていたら、当然ですが普遍的な真理に到達することは難しいでしょう。

だったら、ロジックで考えればいいのかというと、もちろんそれも大事ではあるけれど、必ずどこかで限界がやってきます。

ヒデ
つまり、我々が目指すべき思考の領域とは、曖昧模糊たる『中庸』な立場なんですよね。

【中庸】
1,かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。

2,アリストテレスの倫理学で、徳の中心になる概念。過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。

参照:デジタル大辞泉(小学館)

要するに、お互いが打ち消し合うような領域です。

絶対的に何かを信じているわけではないけれど、ニヒリズムにも陥ってない。ロジックを疎かにしないけれど、それを信じ切るわけでもない。衝動的になり過ぎるわけではないけれど、直感や閃きも軽視しない。

いわゆる、”どっちつかず”な領域にとどまる必要があるのです。

何か物事を考える際は、ぜひ中庸の立場で真理を探求するというイメージを忘れないで下さい。

 

脱大衆するために

脱大衆するために、我々はさまざまなことを知る必要があります。

例えば、メディアを知り、現実を知り、社会を知り、人間を知り、そして自分自身を知る。

ヒデ
結局は、「己を知れ!」ということなんです。

何かモノを考えるとき、自分がどの領域にとどまっているのかをきちんと把握しなければいけません。

自分が狂信に陥っていないか、正論だけを合理的に並べ立てて相手を説き伏せようとしていないか。あるいは、全てがイヤになって虚無主義に陥っていないか、感情に任せて場当たり的な行動をしていないか。

まずは、それらを逐一把握することが大切です。

そして、『自己―他者―世界』の全てを正しく認識できるような、真に知性的な『自己』になることこそが大衆を脱する唯一の方法なのです。

マスメディアに洗脳されないためにも、今日お伝えしたようなことを意識しながら日々を生きていって貰えたらなぁと思います。

最後に

脱洗脳のスタートは、自分が大衆であることを自覚しながら生きていくことです。

ヒデ
無自覚になってしまったら、一生大衆のままですからね^^;

時には虚無主義に陥ろうが、たまにロジック一辺倒に偏ろうが、あるいは他人に自分の正しさを押し付けてしまおうが・・・。

それを自覚することで、我々はまた一歩成長していくことができるのです。

どうか、中庸な立場にとどまることが重要なんだってことを忘れないで欲しいなぁと思います。

また狂信主義に関しては、こちらの記事でも詳しく書いています。

ぜひ併せて読んでみてください。

たちが正しい場所に花は咲かない

わたしたちが正しい場所に花は咲かない

2019年10月4日

それでは、今日はこの辺で。

最後まで読んでくれてありがとうございました。

マスメディアの洗脳

ABOUTこの記事をかいた人

矢島秀人(ヒデ)

現代社会のあり方に疑問を感じて、最強のフリーターを志す。独自の手法「ブッダ∞アフィリエイト」を実践し、2011年以降”ほったらかし”で月収7ケタ超え。現在は海の町で暮らしながら、主にネットビジネス・企業コンサル・FX投資などを行い、個人ビジネスの究極形を追求している。何モノにも媚びず、己の腕一本で食っていける知識をシェアしよう。