どうも、矢島ヒデです。
この記事を読む前に、皆さんに知っておいて欲しいことが1つだけあります。
それは、実際に起こった事実をそのまま書き連ねたものが『歴史』ではないってことです。
それこそ、テレビだろうが、新聞だろうが、あるいは教科書だろうが、正しいことを伝えてないケースのほうが圧倒的に多いのが現実なわけで。
それを伝える裏には、必ず何らかの意図が含まれていて、一部の支配者にとって都合の良いように大幅に書き換えられています。
つまり、そのまま書いてあることを鵜呑みにすると、まんまとその歴史を作った人の思惑に呑まれてしまって、いつまでも経っても真実が見えてこないんですよね・・・。
その現実を踏まえたうえで、この先も読み進めて欲しいなぁと思います。
記事の目次
そもそも、当時は誰も「太平洋戦争」とは呼んでいなかった。
日本が目指した理想世界
恐らく、多くの人が学校で学んでいるのは「太平洋戦争」という呼び方だと思います。
太平洋戦争というと、戦場は太平洋で、日本がそっちに無理やり領土を拡大しにいったイメージがしませんか?
この呼び方だと、日本が”侵略国家”であったということが大前提になってしまいます。
太平洋戦争と呼ぶことで、
「お前たちは太平洋に無謀な戦争を仕掛けたんだ!」
というイメージを植え付けるために、そもそもの名前から変えられてしまったわけです。
でも、本来の呼び名は「大東亜戦争」。”大きな東アジアの戦争”だったんですよ。
だから主戦場も、太平洋ではなく東アジアでした。
これをまず前提として抑えておいて下さい。

遡れば、一昔前までは「白人万歳!」の世界でした。
とにかく白人が偉くて、有色人種は植民地支配のもと奴隷のように扱われる。アジアの国々は植民地として搾取され、とても苦しんでいたわけです。
つまり、元々日本が戦争を始めたキッカケは、
「アジア人よ、共に立ち上がって白人たちに立ち向かおうぜ!」
という大きな理念のもと。
なので、別に日本から相手の領土を奪いに行ったわけではなく、白人の支配から独立するための戦いだったのです。
以下は、天皇陛下が発した「開戦の詔勅(みことのり)」です。

【開戦の詔勅】
日本が戦争を起こすときは、天皇陛下が「開戦の詔勅」を発します。開戦の詔勅には、日本が「なぜ、他国と戦争するのか?」という記述が簡潔に書かれています。
で、ここで書かれているのが、

ってことなんですよ。
だから実際、ヨーロッパの国々は、植民地として支配していた場所に、病院や学校を建てたり、道路を作ったり、水道を整えるようなことは一切しませんでしたが・・・。
日本人は、これを全部やっています。
そこに住んでいる人たちが、全員平等に教育が受けられて、美味しいご飯が食べられて、安心して生きられるような国を作るのが本来の目的だったので、別に他国を支配したかったわけじゃなかった。
それは事実を見れば一目瞭然です。
日本には元々、「みんなが楽しく暮らせるように!」という共通理念があって、それをアジア諸国まで広げていくための大東亜戦争だったのです。
本当の開戦理由
そのため、第一次世界大戦後に発足した国連でも、
「世界から、人種差別をなくすべきだ!」
「おい、白人どもいい加減にしとけよ!」
と、日本は強く訴えています。
そして当時はアメリカだけでなく、国連に加盟している過半数以上の国々の支持も得ていました。
なので、当然日本の意見が通るかと思いきや・・・。
そこで嫌がったのが、植民地支配によって利益を得ていた、いわゆる欧米の「資本家」と呼ばれる人たちです。
彼らは、

と、猛烈に反対しました。
そして、アメリカの政治家にも手を回し、

と、徹底的に圧力をかけたのです。
それによって、結局人種差別は撤廃されることなく、日本はアメリカからの執拗な嫌がらせを受け(石油の禁輸など)、最終的には第二次世界大戦を起こすに至ったわけです。
もちろん、ここで僕が伝えたいことは、「日本が100%正しい!」「悪いのは全部アメリカだ!」みたいな低レベルな話ではありません。
戦争なので、どちらが良いも悪いもないでしょう。

大東亜戦争は、当時の日本人にとって本当に誇りある戦いでした。
だから終戦直後は、誰も罪悪感なんて感じていなかったし、もちろん反省だってしていなかったんです。
例えば、占領軍のアメリカ人はガムをくちゃくちゃ噛んで、ぷ〜っと風船を膨らましながらやってくる。
その姿を見た日本人は、
「こんな奴らに負けたかと思うと、本当に不甲斐なくて申し訳ない。」
と、強く後悔の念を感じたそうです。
でも、それがアメリカ人からすれば怖い。「いつか反乱でも起こされたらどうしよう・・・。」と不安を感じていました。
そのため、日本人の誇りを徹底的に潰すことを目的に、事実を捻じ曲げ、戦争の名称を変えてまで、
「とにかく、お前たちがやったことは悪かったんだ!」
と、思わせるように仕立て上げていったわけです。
終戦後、GHQによって潰された日本人の誇りと精神性

WGIPとは?
終戦後、まず最初にアメリカが行ったのが、徹底的に日本人に罪悪感を植え付けることでした。
それを主にやったのが、かの有名な「GHQ(連合国最高司令官総司令部)」です。
GHQの政策の1つに、「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」があります。
ギルトとは、罪悪感のことです。
これは簡単に言うと、今まで日本が紡いできた武士道や滅私奉公の精神、国や皇室への誇り、そして、それらに支えられた道徳心を徹底的に破壊するプログラムのこと。
例えば、よく知られているものに「墨塗り教科書」があります。

これは、当時の小中学校で使われていた教科書のうち、日本の神道に関わること、天皇を中心とした建国の歴史、日本文化の高貴さなど”日本の素晴らしさ”が書かれていた箇所を墨ですべて塗り潰して読めないようにすることです。
上の写真を見てもわかる通り、教科書の大半を塗りつぶしたものまでありました。
とはいえ、それを教えている学校の先生たちはメチャクチャ熱い志を持っており、とにかく子ども達を立派な大人にするために身を粉にして働く人ばかりでした。
しかし、そのような先生たちは「公職追放令」によって、学校から全員追放されてしまったのです。
「公職」というと公務員だけだと思いがちですが、ここでいう公職とは政府や民間企業の重要ポストも含まれます。
そして、優秀な先生や政治家がいなくなった所に、いわゆるGHQの息のかかった人材がどんどんと送り込まれたわけです。
そのため、大東亜戦争以降、それまで日本が培ってきた政治や学校教育はガラッと変わってしまいました。
東京裁判の真相
太平洋戦争に敗れた年の翌年、東京裁判(正式名称「極東国際軍事裁判」)が開かれました。
そこで、東条英機元首相を含む日本人7名が処刑されたのです。
ちなみに、彼らの死刑判決が出たのは昭和天皇の誕生日。そして、死刑を執行された日は今上天皇(平成)の誕生日です。
わざとそのタイミングに合わせることで、天皇陛下の誕生日をお祝いしにくい空気を作り出し、日本人の団結力や中心に置きたいものを巧妙に奪っていくというやり方をしたんですよね。

この裁判の実態は、裁判の名を借りた「リンチ」に過ぎません。
これは、実際に裁判に関わったアメリカ側の判事や弁護士も、「あれは裁判と呼べるものではなかった。」と批判しています。
さらに、GHQのマッカーサー元帥ものちに、
「日本人が戦争に入った目的は、主として自衛のために余儀なくされたものである。」
と、公の場で証言しています。
つまり、東京裁判とは、アメリカがほぼ中心となった陪審団を組み、日本が不利になる証言しか集めず、日本を徹底的に潰すためのものだったのです。
なかでも一番ヒドいのが「事後法」でした。
事件時は違法ではなかった行為を、後から違法として処罰することを定める法令。
要するに、日本が戦争していたときはなかった法律を、戦争が終わったあとに作り、それによって裁いたのです。
これは世界のルールを完全に破っているわけですが、GHQは「勝てば官軍」で平気でそれをやっちゃったんですよね。
さらには、アメリカだけでなく、中国や韓国も国策の一つとして、
「私たちは、こんなに悲惨な目にあったんだ!」
「凄くひどいことをされて傷つきました!」
と、賠償金を巻き上げることを目的に、どんどんとでっち上げをし始めたり・・・。
こうやって、徐々にアメリカ側にのみ正義があり、日本は「侵略国家」としてのレッテルを貼られてしまった。
日本を「侵略の罪」で裁いていた連合国が、そのまったく同じ時期に、東南アジアで侵略戦争を行っていたにも関わらず・・・です。
でも、今の日本人はこの事実をほとんど知りません。
当時、若い彼らが命をかけてまで守ろうとしたものは何だったのか。日本人としての誇りや愛国心とは何だったのか。
その後の敗戦で、今を生きる日本人がそれを忘れてしまったことがとても悲しいです。
最後に
戦前の日本人は、自分の国にちゃんと誇りを持っていました。
その根底にあったのは、凄く簡単に言ってしまえば「武士道」です。
これは飛鳥時代からずっと通してあったもので、我が身を盾にしてでも大事なものを守るという精神なんですよね。
そして、これは他の国には決して真似することができない尊いものだったのです。

敗戦後、昭和天皇は通訳を一人だけ連れ、日本に訪れたマッカーサーに会うためにアメリカ大使館公邸を訪れました。
そこで自分自身の進退について、以下のように述べたそうです。
日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟があります。
しかしながら、罪なき8000万の国民が住むに家なく着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように。
この言葉に、マッカーサーは大変驚きました。なぜなら、自らの命と引き換えに、自国民を救おうとした国王など世界の歴史上ほとんどいなかったからです。
のちに、この時の感動をマッカーサーは、

と、回想録に記しています。
そして、これこそが日本人である僕らが決して忘れてはならない「大和魂」なのです。
以上、最後まで読んでくれて本当にありがとうございました。