わたしたちが正しい場所に
花はぜったい咲かない
春になっても。わたしたちが正しい場所は
踏みかためられ かたい
内庭みたいに。- イェフダ・アミハイ -
(イスラエルの詩人)
この詩は、平和理論の世界ではよく知られた著書『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』のなかで紹介されていました。
著者のアモス・オズは現代イスラエル人、いわゆるユダヤ人です。本では、今でも続くパレスチナ・イスラエル紛争の実態について綴られています。

元々オズは、シオニズムの活動家でした。
シオニズムとは、パレスチナにユダヤ人の国家を築くことを目指した運動であり、平たく言えば過激な”右派”のことです。
若かりし頃のオズが、アラブ人を皆殺しにしてでも「イスラエルを建国してユダヤの聖地にしよう!」とまで考えていたかは分かりかねますが・・・。
そのような一派に属していてもおかしくないくらいの保守派、偏狭な愛国主義者だったと思います。
だけど、彼は最終的に、

と、中庸な立場を取るようになりました。
もちろん著者の主張を全面的に支持することはできませんが、非常に興味深い態度だと思います。
そして、この本のテーマである『狂信主義』という概念は、イスラエル・パレスチナ問題にとどまらず、我々が日常陥りかねない罠について鋭く指摘してくれるのです。
狂信主義とは?

狂信主義
狂信主義とは、狂ったように何かを盲信している状態のこと。
つまり、オズが主張する『わたしたちが正しい場所・・・』とは、”自分こそが正しい”と思っている場所のことであり、そのようなエリアでは絶対に”平和は訪れない”と彼は説いているのです。
例えば、狂信主義に陥ってしまうと、正義と正義のぶつかり合いになり、結果的に争いが起こってしまいます。
そして、これは国家間、民族間だけの問題ではなく、ごく一般的な人間関係のなかでも頻繁に起こり得ることです。
オズは本の中で、

と語っていました。
嘘だと思うなら、よく考えてみて下さい。
イスラエルとパレスチナ人の紛争なんていう遠い外国の話でなくとも、日常の口喧嘩の原理だって全く一緒じゃないですか?
お互いに、
「俺が言っていることが正しいんだよ!」
「いやいや、私のほうが正しいでしょ!」
という水掛け論から、大抵ケンカは始まっていきます。
ご存じの通り、そのあとに何か建設的な結果が得られることはほぼありません。
つまり、その場所は花の咲かない”不毛地帯”と化してしまったわけです。
存在する場所
狂信主義とは、一体どこに存在しているのか?
この疑問について、オズは非常に明確に答えてくれています。
それは、
「他人を何が何でも変えてやりたい!」
という願望の中に存在する、と。
要するに、周りの人たちをそのままにしておきたくないわけです。

例えば、
「尖閣諸島は日本の領土だ!」
と主張する保守派の過激な人達。
彼らの要求は、結局のところ中国人を変えたいだけです。
それが本音だと思います。
確かに、尖閣は日本の領土だという証拠をいっぱい出すことはできるかもしれませんよ。
それらをずらーっと並べ立てて、
「こんだけの証拠があるんだから、俺らのもんだろ!」
と主張する気持ちも分からなくもない。
でも、残念ながらそのような場所に美しい花は咲かないんですよね。
言い換えるなら、
”狂信主義の場に花は咲かない”
と言っても良いでしょう。
当然ですが、どっちが正しいのかは一義的に決まるようなものではありません。
もちろん、それぞれが普遍の真理を求めていく姿勢は大切だと思いますが、それは決して到達することが出来ないものです。
そう考えると、我々は「真理には到達できないんだ」「でも、あるはずなんだ!」という半端な領域にとどまる必要が出てきます。
そこで「真理に到達したぞ!」と思った瞬間、あるいは「絶対に私こそが正しい!」と思った瞬間、その場所は花が咲かない不毛地帯になってしまうからです。
このオズの主張を初めて読んだとき、僕は非常に説得力があるなぁと感じたのを覚えてます。
「全くその通り、仰るとおりですよ!」
・・・と。
繰り返しになりますが、狂信と狂信がぶつかり合う場所に平和は訪れません。
本気で平和を望むなら、ときには曖昧模糊たる領域にとどまる勇気も必要になってくるのです。

戦争が起こる理由
現代の戦争も、すべて正義の名のもとに行われています。
例えばブッシュ政権時代のアメリカが、『Operation Infinite Justice(無限の正義)』と銘打った軍事作戦を展開したことはあまりに有名な話。
でも”無限の正義”なんて、穏やかではないことこのうえないネーミングですよね(笑)
もうね、狂信の極地。
センスなさ過ぎ。
いわゆる、イスラムの過激派テロリストと呼ばれる人達と、無限の正義という言葉を堂々と振りかざすアメリカ人。
どっちが狂信的なのかという議論は、限りなく甲乙つけがたい状況でしょう。
だって、冷静に見たら狂信度合いとしては大差ないじゃないですか。
どっちもどっち、目くそ鼻くそ。少し乱暴な言い方をすれば、喧嘩両成敗です。
双方に一定の理があるので、決着をつけるのは非常に難しいというのが実際のところでしょう。
だけど、世の中の人はそう捉えない。
何故だか分からないけど、そんな風に見ないところに僕は危うさを感じてしまいます。
まぁ、これも完全にマスメディアの影響でしょうけどね・・・。
美しい花を咲かせるために

美しい花を咲かせるために、僕らはさまざまなことを知る必要があります。
端的にいえば、
「己を知れ!」
「相手を知れ!」
「世界を知れ!」
ということです。
例えば、自分が狂信主義に陥っていないか、正論だけを合理的に並べ立てて相手を説き伏せようとしていないか。あるいは、無理やりこちら側の言い分に引き込もうとしていないか・・・。
そういうことを逐一把握して、『自己ー他者ー世界』を正しく認識できるような真の知性的な”自己”になることこそが、花を咲かせる唯一の方法だと思うんです。

著書のなかでは、
・心をオープンにする
・相対主義(立場の違いによって多くの真理が存在するという考え方)
・自分を笑う
という柔軟な態度が大切だと説いていました。
もっと分かりやすくいえば、
「相手に興味を持ち、自分に執着しない!」
と置き換えてもいいかもしれません。
とにかく現実を知り、社会を知り、人間を知り、相手を知り、そして己を知る。
狂信主義に陥らないためにも、自分も相手も世界もフラットに見ることができる視点を養う努力が求められるのです。

簡単そうで、かなり難しい視点であることに違いありません。
だけど、それが本当に知性的な人間だと僕は思うし、そういう風な人が増えていかない限り、オズが言う意味での花が咲くことはもうないでしょう。
逆に、自分も他人も、そして周りの環境までしっかりと見れる人が増えれば、そのぶんだけ”僕らが正しいと思った場所”に花は咲くと思います。
そのためにも、普段から想像力を使って相手のことを考える癖をつけ、自分が絶対だと盲信しないようにすることが大切なのです。
最後に
確かに、最初は無力かもしれません。
僕がいくら熱く語ったところで、日本国民の意識がガラッと変わるわけじゃないし、どうしても草の根的な活動になってしまうのは仕方がないことです。
だけど、少しずつでも草の根的に分母を広げていかなければなぁと思ってます。
ほんの少しでいい。ぜひ、今日お伝えしたことを意識しながら日々生きていって貰えたら嬉しいです。
そしたら、また一歩世界平和に近づきますからね٩( ‘ω’ )و

もっとも危険なのは人間の心、とくに自分自身を笑えないことだ。
自分の主義・主張だけが正しいという、狂信者に見られる激しい思い込み、それがひいては独善的な行動や言葉になって表れ、人間どうし、民族どうし、国どうしの争いを生む。
その独善性に風穴をあけるのが、想像力とユーモアだ。
- アモス・オズ -
(作家)
たぶん中古で7,000円くらいだったかな??
ちょっと高いかもだけど、素敵な言葉がいっぱい散りばめられていておすすめです。
機会があったら、ぜひ読んでみてね。
以上、「わたしたちが正しい場所に花は咲かない」の読書考察でした。
チャンチャン♪