どもども!
朝方までマンガを読みふけり、
ちょっと寝不足気味のヒデです。
前回の記事を読んでない方は、
こちらからどうぞ!
さて第二弾のテーマは、
『世論形成』について。

ちなみに辞書では、こんな風に書いてました。
【世論】
ある社会の問題について世間の人々の持っている意見。よろん。せろん。出典:大辞泉
で、ここで僕はいつも疑問に思うのですが、
「世論がいかに形成されていくのか?」
めちゃくちゃ不思議じゃないですか。
だって、日本人だけでも1億3千人近くいて、みんなバラバラなことを考えているのが当然ですよね。
例えば、ラーメンが好きな人もいれば嫌いな人もいる。カレーが好きな人もいれば嫌いな人もいる。
それと全く同じ理屈で、”そもそも世論なんて本当に存在するのかなぁ?”ってずっと疑問に思ってました。
だけど、新聞やテレビの中では、
「世論!世論!世論!」
と、声高らかに叫ばれている(風)。
そして、何故だか知らないけれど、世論の一部に我々も勝手に組み込まれているわけです。
本当に不思議で仕方がありません。
そこで、今回は”世論形成の真実”について解明していきたいと思います。
これを読めば、新聞やテレビを含むマスコミの情報の大半が、いかに無価値なものであるかが理解できるはずです。
記事の目次
世論形成の真実とは?

世論は作られない
結論からお伝えします。
世論とは、何かによって形成されるものではない。
もちろん、マスコミが勝手に作り出すものではないし、誰かの意図がそこにあるわけでもない。あるいは、人々の不満が大きくなって出来あがるものでもない。
そもそも世論とは、その場その場で生まれてくるような”動的”なものではありません。
常にそこにあるものなんですよね。
ここまで読んでみて、
「コイツ何言ってんだ?」
「え、頭おかしくね?」
と思われた方もいるでしょうが・・・。
以下で詳しく綴っていくので、もう少々我慢してお付き合い下さいませ。
世論は変わらない
先述した通り、世論とは、常に、すでに、そこにあるものです。
極端な話、根本的に変わることがありません。
だけど、表面上は変わっているように見える。
これは、一体どういうことなのか?
端的にお伝えすると、今の日本の世論形成の土台には”4つのイデオロギー”が存在しており、それ以外はあり得ないって話です。
【イデオロギー】
政治や社会のあるべき姿についての理念の体系をイデオロギーと呼ぶ。

例えるなら、カルピスみたいなもので、まず土台となる4つのイデオロギーがあり、我々はその原液を極限まで薄めた水溶液の中で生きています。
これらのイデオロギーは、すでに薄まりすぎて、全く刺激がないので、我々は周りにあることすら気付きません。
まさに希釈のイメージと一緒です。
原液をどんどんと薄めて社会全体を満たしていく。そして僕らがこの世に生まれ落ちたその瞬間から、この水溶液に浸っている大人達に育てられ、当然のごとく染まっていく。
つまり日本人として生まれた以上、我々が望む望まないに関わらず、この4つの枠組みから逃れることは不可能なのです。
世論の土台となる『4つのイデオロギー』
4つのイデオロギー
①平和主義→平和が一番大事
②民主主義→民主が一番大事
③進歩主義→進歩が一番大事
④人間主義→人間が一番大事

この4つのイデオロギーが、全ての世論の”土台”になります。
土台と言うくらいですから、絶対に人々が疑問を差し挟まないようになっています。
つまり、この土台から逸脱した世論は形成できないし、ここに疑問を差し挟む人間は社会では”野蛮人”だとみなされるわけです。
その意味で、世論は常にこの要素を持っていると言えます。
主義の二面性
で、この4つのイデオロギーを見ていくと、ある重大な問題点に気付くはずです。
読者さんの中には、すでに気付かれた方もいるかもしれませんが・・・。
それは『○○が一番大事』という積極的な主義を抱えてしまうと、必ず二面性、つまり表と裏が見え隠れするのです。
この話は少し説明が必要なので、以下で詳しく見ていきましょう。
◎平和主義
表→平和が大切
裏→平和を乱すものは排除してよい
例えば、『平和が一番大事』という思想の裏には、”平和を乱すものは排除しても構わない”という主張が隠れています。

「平和のため!」という大義名分さえあれば、他国に爆弾を落としてもいいし、一般人がどれだけ死んでも構わない。
平和主義の枠組みの中だからこそ、残忍な暴力行為が許されてるわけです。
つまり平和主義の中には、平和を乱すものは絶対悪であり、徹底的に排除すべきという思想が含まれているのです。
◎民主主義
表→国民主権です
裏→格差は悪である
民主主義とは、国民主権のこと。
要するに、「国民が一番偉いですよ!」「国民を大事にしましょう!」という思想です。
この裏にも、一例として”格差は絶対に悪である”という概念が隠れています。
そもそも民主主義とは、言ってしまえば数の論理であり、そこには『平等の論理』が内在されています。
例えば、国民が100人いるとすれば、100人が全て同等でなければ民主主義は成り立ちません。
そうじゃないと、”51対49”に意見が割れたとき、”51”のほうが正しいとは言い切れないですからね。
みんなが同じウェイトを持っている前提があるからこそ、多数派の意見が尊重されるわけです。
つまり、民主主義とは「人間は生まれながらにして平等である」という概念を根本に据えています。
だからこそ、格差は悪になるんです。格差を肯定してしまったら、民主主義が成り立たなくなってしまう。
そこには必ず『平等の論理』が内包されており、仮にテレビの評論家などが”格差肯定論”を声高に主張したところで大した影響力を持たないのもそのためです。
◎進歩主義
表→進歩万歳
裏→バカ、病人などは邪魔
社会が進歩していくのは素晴らしいことですが、裏を返せばそれを妨害する人間は全て邪魔な存在になります。
少し乱暴な言い方をすれば、ハンディキャップを持つ人間は足手まといにされてしまうのです。
例えば、歴史的な事実として、ナチス・ドイツはユダヤ人を大量虐殺したばかりではなく、その裏に隠れて精神病患者をどんどんと殺していきましたよね。
それは何故かというと、アーリア人の進歩の足かせになるからです。

人間の価値をテストの点数で比べたり、偏差値で測ったり、あるいは出身校で判断したり、このような風潮も進歩主義の成れの果てだと言えるでしょう。
◎人間主義
表→隣人を愛そう
裏→その他の生物はモノである
人間主義とは、人間はすべからく価値を持っており、大切にすべきであるというような発想です。
キリスト教的な『汝の隣人を愛せよ』ではないですが、何よりも人間が一番大事ということ。
でも、これも裏を返せば、人間以外の他の動物はどうなっても構わないという話になってきます。
例えば、今の日本の法律だと、別に野良猫を殺したところで殺人罪には問われないんですよね。
法律上、動物をモノとして扱っているので、どんなに残忍な行為であろうと”器物損壊罪”として裁かれるわけです。

ここで挙げたのはあくまで一例に過ぎません。当然これが答えという訳ではないし、他にも色々な見方があると思います。
なので、あなた自身でもそれを考えてみて下さい。
あらゆる主義には裏と表があることを踏まえつつ、その両面を見るような癖をつけるのって意外と大切なことなんで。
一種の”思考訓練”として取り組んでみると良いかもしれません。
こんな感じで↓
イデオロギーのもたらす弊害と、その問題点

先述した通り、日本の世論形成の土台には4つのイデオロギーが存在しており、我々はそれを極限まで薄めた水溶液にどっぷりと浸って生きています。
で、ここで考えたいのは、
『このような水溶液に水没した世の中では、一体どのようなことが起こるのか?』
ということ。
以下で、それを明らかにしていきたいと思います。
倒錯した真実
色んな問題が起こるんですけど、今回ぼくが最も提言したいのが”真実に関して重大な倒錯が起こっている”という点。

本来、ある事柄が真実だと提示されたら、
「本当にそれが真実なのか?」
ってことを検証していく作業が必要になります。
それが真理なのか、そうではないのか。正しいのか、正しくないのか。あるいは理に適っているのか否かは、それが検証されて初めて真実なのかどうかが見えてくる。
そんなの当たり前の話じゃないですか。
それなのに、世論を形成する4つのイデオロギーが決して疑われることなく、まるで空気のように我々の世界を満たしているため、真実の倒錯が起こってしまうのです。
言い換えるならば、『真実』と定められたものがまず存在し、それがリトマス試験紙の代わりになっているような状態です。
世の中において、4つのイデオロギーがリトマス試験紙の役割を果たし、それに合うかどうかが検証されているに過ぎません。
そもそも、平和主義が正しいのか。民主主義が正しいのか。進歩主義が正しいのか。あるいは、人権を守ることが本当に正しいのか。
そういった議論は一切されず、それはもう正しいって前提で話が進んでいきます。そして、それに合致するものは真実の可能性があり、反対に合致しないものは自動的に棄却される。
これが世論形成の真実であり、最も大きな問題点だと思ってます。

マスコミの役割とは?
マスコミは、
・平和主義
・民主主義
・進歩主義
・人間主義
この4つのイデオロギーをひたすら垂れ流しているだけです。
根本的に、そこから外れた報道なんて出来ません。
そして僕は、これが非常に恐ろしいことだと思うんです。
なぜなら、この4つのイデオロギーに反するような意見は人々から感情的に拒否され、真理と真実の探求が不可能なものになってしまうからです。
例えば、一昔前であれば「日本も核武装したほうが良いんじゃね?」という話題を出すだけで、世論としては半ば自動的に拒否されてしまう。
それは何故か?
平和主義に反するからです。
他にも、死刑問題であれば、そこを深く議論しようとするだけで煙たがれる。
それは何故か?
平和主義や人間主義に関わってくるので、世論としては感情的に否定されるからです。
つまり世論とは、その時々で作られたり動いたりするものではなく、ずーっと同じものなんです。
繰り返しになりますが、誰もが気づかないレベルまで薄められた水溶液に沈んでいる世の中では、真実の探求なんて不可能です。
固定された世論によって、議論の土俵が破壊されてしまいます。
この点が、個人的には一番恐ろしいなぁと思うんですよね。
世論の罪と罰
マスコミの世界では、知識人と呼ばれる人達がたくさん出てきます。
例えば、学者だったり、研究者だったり、専門家だったり、あるいは文化人枠で出てくるお抱えタレントだったり・・・。
いずれにせよ、○○大学で✕✕を研究しているような人、いわゆる学者や研究者というのは世間からは”知識人”と呼ばれるわけです。
で、自称評論家やコメンテーターとして、テレビや新聞など公の場で色んな意見を垂れ流すわけですが、
その意見も、決してこの4つのイデオロギーの枠組みから出ないんです。
本当に真理を探求している知識人であれば、時にはそこから外れた意見があっても不思議はありませんよね。
本来であれば、

という人が現れてもいいはずなのに、一切出てこない。

つまり学者や研究者と呼ばれるような人たちでも、この4つのイデオロギーに迎合する形でしか真理の探求ができないわけです。
そして、ひとたびその枠組みから飛び出そうとすると、業界から干されてしまう・・・。
当然、国からの研究費も出なくなります。仮に、真理探求のために必要な研究だったとしても、恐らくプロジェクトごと廃止になってしまうでしょう。
つまり、
「この4つの枠内にいる限りは、あなたは自由ですよ!」
というのが、今我々の生きている自由主義社会の実態なのです。
最後に
イデオロギーとは、世論のさらに根本にあるものです。
そして、それは極限まで希釈されているため、我々はその存在に全く気づくことなく生きています。
その結果、世論は表面上見え方が変わっているように見えるだけで、本質的には何も変わっていません。
そのような世の中においては、真理と真実の探求というものが限りなく制限されてしまうのです。
本来、真実それ自体が検証されなければいけないはずなのに、真実それ自体が世の中を検証するような逆転現象が起きているんですよね。
こうして我々一般人のみならず、知識人と呼ばれるような人であっても、この4つのイデオロギーから抜けられなくなり、大衆性がどんどんと強化されていくわけです。
この現象を”知識人の大衆化”、あるいは”大衆の知識人化”と呼んだりします。
で、結果的にみんなの意見がますます似たような方向に流されていく。そんな画一的な社会イヤじゃないですか。
そうならないためにも、ぜひ物事を見たり、聞いたり、読んだりするときは、今日お伝えした4つのイデオロギーについて吟味してみてください。
まずは思考訓練として、平和主義を疑う、民主主義を疑う、進歩主義を疑う、人間主義を疑う。この4つを徹底的に疑ってみる。
こんな感じで↓
そして、その思考パターンに慣れてきたら、他の領域にも踏み込んで考えてみると良いかもしれません。
前回の記事でも触れましたが、あなたの知性を磨くことによってのみ、全ての情報を洗脳から教育へと変えることが出来るわけで。
ぜひ、その方向性で頑張ってみてください。
僕も頑張ります!
以上、最後まで読んでくれてありがとうございました。