相対主義とは、
「絶対的な真理はありえない。どのような立場もそれなりに正しい。」
と主張する立場のこと。
古代ギリシアの哲学者・プロタゴラスの 「人間は万物の尺度である」という思想が始まりだとされています。
相対主義者は一見すると”いい人”です。いつもニコニコしていて、物分かりが良く、決して相手を否定しないので対立も起こりません。
きっと多くの場合、

と、かなりポジティブな印象を抱くはずです。
だけど、それは一面的にしか捉えてないのかもしれない。
なぜなら、相対主義者ゆえに自分の殻に閉じこもり、相手を受け入れるでもなく共感するでもなく、それを周りから指摘されても、
「あ~、そういう見方もあるんですね!」
という一言で終わらせてしまう。
つまり、本質的には無関心であり、双方向コミュニケーションが全く成り立たないからです。
これが相対主義の恐ろしい部分であり、さらには”相対主義の罠に陥っていることに本人が気付けない”という構造的な問題をはらんでいます。
恐らく、これを読んでいる人の99%は相対主義者です。
たぶん、僕自身もそう。だからこそ、この問題に気づくことができ、なんとか乗り越えようと、かれこれ3年以上も向き合い続けているのです。
そこで今回は、とても根深い相対主義の問題と向き合い、それを乗り越えるための具体的な方法について考えてみたいと思います。
記事の目次
相対主義の正体とは?

この問題を考えるうえで厄介なのは、世間一般では相対主義者のほうが受け入れられやすく、過剰に評価されてしまう点です。
例えば、

この主張を聞いて、あなたならどう感じますか?
すごく真っ当に聞こえるはずです。
だけど、これって裏を返すと、
「私の考えは◯◯です!」
「あなたの考えは✕✕です!」
「みんな違っていいじゃん!」
みたいな感じで、他者と深い議論を交わすことが極めて難しくなってしまいます。
私は私、あなたはあなた、彼は彼・・・。結局、自分の殻に閉じこもって「はい、終わり!」というのが相対主義者の特徴です。
何を言っても、
「あ〜、それはあなたの考えですね」
「へ~、そういう解釈もあるんだね」
と、全てが相対化されて話が終わってしまう。
だから、新しいものが何も生まれない。本来、異なった文化やアイデアと交わることで初めて人は成長していけるはずなのに、相対主義者はそれを一切不可能なものにしてしまいます。
少し乱暴な言い方をすれば、相対主義とは「破壊主義」。人類の進化も生まなければ、新しいイノベーションも生まない。
さらには、そのことに本人が気づけない構造的な問題をはらんでいるわけです。

私もゴリゴリの相対主義者でした…。
僕自身も、20代の頃はゴリゴリの相対主義者でした。
全ての大人に対して、相対的に接していたので、
「さぞや不快な思いをさせただろうなぁ。」
と、今では恥ずかしい気持ちでいっぱいなわけですが。
でも、僕は幸運なことにその過ちに気付くことができたんですよね。
若かりし頃は、

という思想を強く持っていました。
だから当時付き合っていた彼女からは、

と、いつも指摘されていたんですよね。
だけど、僕には一切聞こえてなかった。それこそ、普遍主義者の傲慢だとさえ思っていたのです。
結局、お互いに分かり合えることはなく、すぐに別れてしまったわけですが・・・。
その最たる原因は、僕が相対主義者だったから。
向こうは一つの客観的な地平(=世界)を求めていたにも関わらず、僕はそれを拒否して自分だけの地平にこだわり続けていました。

と、自分だけの世界にずっと閉じこもっていたのです。
今想えば、これって何か意味あったのかなぁって思うんですよね。
凄く極端な例ですが、
「私はバスケが好き!」
「あなたはサッカーが好き!」
「はい、終わり!」
というのと同じこと。
これでは、コミュニケーションする必要がないし、お互いに分かり合うことは不可能です。
こんな経験もあり、相対主義の行き着く先とは、個々人がバラバラの世界に閉じこもって硬直化していく”冷たい世界”だと、僕は考えるようになったのです。
相対主義の功罪と、それを乗り越えた先に待っている世界

相対主義の欠点とは?
確かに、相対主義的な考え方を持っていたとしても、自分の殻に閉じこもって、それなりに楽しく生きていくことは可能だと思います。
だから、強制的に乗り越える必要なんてないわけですが・・・。
しかし、僕のブログを読んでいるくらいですから、恐らく人並みではなく、自分なりに納得のいく生涯を送りたいと思っている人が多いはず。
そして、そういう人というのは、ある種のコミュニティのリーダー的な存在になっていくのが常です。
けれども、残念ながら相対主義者はリーダーにはなれません。
なぜなら、リーダーになるってことは、間違いなく人を惹きつけているからですよね。必然的に人が付いてくる訳だから、それは既に殻を乗り超えているってことじゃないですか。
自分の殻を超えているからこそ、相手の心に響かせることができ、周りを引っ張っていく存在になれるのです。
もっと言えば、相対主義者は成長することができません。
殻の中から外に出れず、全てを自己完結してしまうので、いつまで経っても成長することができない人たち・・・。
自分の地平に凝り固まって、そこからしかモノを発しない、モノを理解できない人というのは、その地平を共有する人としかコミュニケーションが取れないんだから当然ですよね。
だから、より沢山の人と交わろうと思ったら、出来るだけ多くの地平を自由に動き回れるってことが必要条件になるわけです。
大事なのは『地平融合』
ドイツの哲学者・ガダマー(1900年~2002年)は、『地平融合』という一大テーゼを打ち立てました。
これを分かりやすく日常語に翻訳すれば、
「お互いを分かりあえるかどうか?」
ってこと。
地平という言葉は、例えば価値観や世界観、あるいは個人の好き嫌いと捉えてもらっても構いません。
要するに、僕とあなたの地平が融合して、「はい、分かり合えました!」という状態のことを言います。
大前提として、人はそれぞれ自分の地平を持っています。僕には僕の地平があって、あなたにはあなたの地平があるわけです。
これが一切交わらないと、お互い理解し合うことは当然できないし、さらには相手に興味を持つことすら難しくなります。
先述した通り、個々人が”バラバラの世界”に閉じこもって硬直化していってしまうからです。
とはいえ、自分と完全に地平を共有している人なんていませんので、実際にはこちらから移動していかなければいけません。
つまり、相手の地平にも立って、その殻を打ち破っていく必要があるのです。
で、その自由度が高ければ高いほど、人を惹きつけることができるし、自分の人生を生きるという意味でも成功していける人だと考えています。
例えば、相手の地平には『乃木坂48』しかいなかったとしましょう。でも、こちらとしてはアイドルに全く興味がなく、そんなことよりも『経済学』の話をしたいとします。
このままでは、一生話は通じないですよね。
そこで、もし僕が乃木坂についても学び、アイドルを通して経済学を語ることができれば、相手の殻にピシっとひびを入れられるじゃないですか。

みたいな語り方をすれば、少なくとも興味は持ってもらえますよね。
そして、最終的にその殻がパカっと割れてくれれば、お互いの地平を共有し合えるわけです。
これからの日本人に求められるスキル
要するに、知識というのは「深さ」も「広さ」も重要だってことです。
それこそ専門家のように、一つの分野だけをひたすら何十年も掘り続けていれば、ある程度の深さになっていくのは当然ですから。
でも別に、深さだけを持っていても何の意味もない。
いくら経済学について詳しく話せたからといって、それが誰にも通じなければ、大した価値にはならないからです。
一方、ここで言う「広さ」とは、色んな地平を移動する力のこと。地平を自由に移動できるからこそ、たくさんの人を惹きつけることができるのです。
そして、これは異文化コミュニケーションでも全く同じことが言えます。
例えば、
「日本人は外交が下手だ!」
と揶揄されることが多いわけですが、それは別に英語が下手だからという理由ではないですからね。
当然、日本の外交官は英語がペラペラだし、だったら「自分の意見を言わないからなのか?」というと、そういう話でもない。
彼らの多くは、”アメリカ的なる土俵”で交渉をしてしまっているわけです。
相手の土俵に乗っかり、相手の地平で話そうとします。日本の外交官は優秀で、とても器用なので、それが出来ちゃうのです。
でも、それではダメなんです。あくまでも、こっちの地平をしっかりと認識しながら、”日本的なるもの”をアメリカ人に納得させるってことが大切だから。
つまり、相手とは異なる価値観を、相手の感覚と擦り合わせながら、より分かりやすい言葉で伝える能力が必要になってきます。
例えば、「いただきます!」という文化なんて、アメリカ人には到底理解できませんよね。他にも、「以心伝心」という言葉は、厳密にいえばテレパシーとは異なる日本独特の概念です。
つまり、そういった相手が知り得ない価値観を、すんなりと腑に落ちる形で話せる人というのが、良いコミュニケーターであり、それこそが地平を自由に移動できるということです。
これは、日本人同士でも同じ。ただ単純に、相手の地平で喋ればいいという単純な話ではないので、そこだけは気をつけて欲しいなと思います。
最後に
この記事を読んで、必ず一度はあなたが『相対主義の罠』に陥っていると思ってください。
例えば、
「どこかでコミュニケーションを拒否していないか?」
「周りと深い会話をすることを避けていないか?」
「他人とぶつかることを恐れていないか?」
と、自問自答してみて欲しいんです。
確かに、価値観の押し付けはダメですよ。ただ、相手の価値観を認めたうえで、自分の価値観を主張することは決して悪ではありませんので。
むしろ、そうしなければ、”個々人が殻の中に閉じこもったままのバラバラな世界”が訪れてしまう。
相手と分かり合おうとしなくなり、その結果深いコミュニケーションを取ることが極めて難しくなってしまいます。
こればかりは、自分で気づいて殻を破っていく以外に方法はありません。なぜなら、外からの声が一切聞こえないのが相対主義者の特徴だからです。
これからの時代、きっと相対主義を乗り越えた人から、楽しい人生を送れるようになっていくと思います。
今回は、とても抽象的な話になってしまいましたが、言わんとしていることが何となくでも伝わってくれれば嬉しいです。
もし何かご意見や質問等などありましたら、こちらからお気軽にお問合せください。
必ず目を通して、今後のコンテンツ作りの参考にさせてもらいますので、そういった意味でもどんどん送って頂ければなぁと思います。
また、コミュニケーションの原理的な話についてはこちらの記事でも詳しく書いてますので、ぜひ併せて読んでみてくださいな。
それでは、今日はこの辺で。
以上、最後まで読んでくれてありがとうございます。