あなたは、『お金』について深く考えたことがありますか?
僕たちが生きていくうえで、お金というのは切っても切れない存在です。
事実、お金が原因で、毎日やりたくもない仕事を続けていたり、行きたいところにも行けず我慢をしていたり、大切なパートナーと喧嘩をしてしまったり・・・。
多くの日本人は、お金に対して漠然とした不安、恐怖をかかえており、その結果、人生を振り回されているようにも思えます。
見方によっては、便利なツールであるお金に翻弄され、たった一度の”人生を支配されている”といっても過言ではないでしょう。
とはいえ、お金は『単なる道具』。使い方次第では、プラスにもマイナスにも働くものです。
その本質を理解し、上手に付き合うことができれば、より良い人生を送るための強力な武器にもなりえます。
そこで当記事では、あなたのお金に対する不安や悩みを吹き飛ばし、自在にコントロールするための術をお伝えしていきます。

記事の目次
『お金嫌い』の心理から見えてくるものとは?

子孫繁栄に欠かせない能力
まず、大前提として、
「日本人である以上、お金を稼ぐモチベーションは湧きにくい!」
ことを覚えておきましょう。
その理由をくわしく解明するためには、人類の”歴史と遺伝”について知っておく必要があります。
遡れば、我々の祖先というのは、周りの人々と共同生活を営むことで、多くの子孫を残してきました。
コミュニティを形成し、そこで仲間と力を合わせながら、数百万年の長い年月を生き延びてきたのです。
少なくとも、男女のペアが親密な関係にならない限り、新しく子どもは産まれないので、たった一人で子孫を残してきた人間は誰一人いません。
つまり、人類が繁栄するうえで最も欠かせない資質が『協調性』でした。
強靭すぎるがゆえの悲劇…
もしかすると、
「協調性なんかより、圧倒的な力を持っていることのほうが重要だろ!」
と、思われる方もいるかもしれません。
しかし、よく考えてみてください。
仮に、突然変異によって、強靭すぎるパワーを持った固体が出現すれば、彼らは周りの資産(食物など)も根こそぎ食い尽くしてしまうでしょう。
そうすると、周りの固体の多くは資産にありつくことができず、死に絶えることになります。
つまり、強烈なパワーを持つ”たった一つ”の固体のせいで、コミュニティが絶滅してしまう恐れが出てくるのです。
それを防ぐためにも、最終的には、その強すぎる固体は、周りのモノ達の手によって殺される運命をたどることになります。

実際、歴史上でも、莫大な資産を保有しすぎた固体の多くは、必ずといっていいほど周りのモノに消されていますよね。
もちろん例外はありますが、残された遺伝子たちは、その瞬間を何度も目の当たりにしています。
つまり、僕らの遺伝子の中には、
「他より多く摂りすぎれば、周りから殺される…。」
と、太古の昔からプログラムが組み込まれているわけで。
日本には「出る杭は打たれる!」という諺もあるように、周りに対する協調性がお金を稼ぐことへのブレーキに繋がっていると考えられます。
日本人はすでに満たされている
さらに言えば、多くの日本人は、すでに十分すぎるほどお金を持っています。
そんな風にいうと、


と、反論が飛んできそうですが…。今の日本社会で、”食うこと”さえままならず、死に直面するほどお金に困っている人は珍しいです。
いずれにせよ、何をしても生きていけるのが日本であり、どんなに「お金がない!」と言っても、アフリカの先進国に比べれば十分に恵まれている国だといえます。

日本に住んでいる以上、最低限の生理的な欲求はすべて満たされています。
よくテレビなどで取り上げられる、ベンチャー企業の経営者などの経歴をみても、元々とんでもない借金を抱えていたり、恵まれない環境で育っていたり…。
どん底から這い上がってきた人が多いのも、そのためです。
彼らが、人より大きな成功をおさめられた要因の一つに、崖っぷちに立たされたおかげで遺伝子のブレーキが一切かからなかったことがあげられます。
俗にいう、”ハングリー精神”や”火事場の馬鹿力”のことです。
誰しも、極限まで追いこまれ、命の危険にさらされると、
「手段は選ばなくていい!」
「何がなんでも稼ぐんだ!」
と、遺伝子レベルで指令が下されるのです。
ちなみに、ぼく自身も、月収100万円を越えたあたりから急にお金に対するモチベーションが消え失せました。
当時は、ガンガンお金を浪費することで自分を追い込んでいましたが、正直かなりシンドかったです…。
元々、金銭的な自由を摑むために起業したにも関わらず、結局お金に縛られることになり、相当苦しんでいた時期があります。
これは、『お金』をモチベーションに仕事をしている人なら、必ずといっていいほど立ちふさがるカベ…。
そこを乗り越えるためには、”お金以外の目的”を作るしかありません。
そもそも、お金を稼ぐことにブレーキをかけているのは、協調性を重んじる遺伝子の仕業でしたよね。
だったら逆に、”協調性を強化するような目的”に変えてあげれば、迷わず行動できるようになります。
例えば、「周りの人に貢献したい!」とか「みんなで幸せになりたい!」とか…。目指すべき目標をシフトしてみることで、新たな道が見えてきます。
今後、「お金をドンドン稼ぎたい!」と考えている人は、ぜひ覚えておくと良いですよ。
全世界のお金を手に入れる方法

突然ですが、今あなたはどれくらいお金を持っていますか?
「銀行に250万円くらいあったかな。」
「財布に3万円しか入ってないよ…。」
「ビットコインで一億円持ってます!」
等など、いろんな人がいるでしょう。
では、もう1つ質問です。
あなたが、全世界のお金を手に入れるためには、どんな方法が考えられるでしょうか?
ぶっ飛んだ質問ですが、ちょっと考えてみてください。
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◆
◆
先に結論から述べると、『自分のお金』『他人のお金』という概念を取っ払ってしまえばいいのです。
そうすれば、あなたは広大な市場から、必要なときに必要なぶんだけ自由にお金を引き出すことができます。
まるで、『現ナマ製造機』を持っているようなもの。一生涯、お金で苦労することなく、バラ色の未来が待っていますよ。
「ちょっと待って、ヒデさん!
気でも狂ったんですか?」
「そんな事したら、
泥棒と一緒じゃないですか?」
と思われるかもしれませんが…。
安心してください、本気です。
ちょっと理解しがたいと思うので、以下でくわしく解説していきますね。
争いが生まれる理由
大前提として、世の中に出回っているお金には”限り”があります。
さらには、僕を含め、多くの人が得られるお金にも限りがあり、その限りあるお金を多くの人間で奪い合っているのが現状です。
これは例えるなら、新幹線に乗って、隣同士で『ヒジ掛け(アームレスト)』を奪い合っているようなもの。
座席の間には、一本のアームレストしかありません…。もしも、二人同時にヒジ掛けを『奪取』することを選択すれば、お互いの腕がぶつかり合い喧嘩になってしまいます。
しかし、落ち着いて考えてみてください。
そもそも、車内のスペース自体、誰の所有物でもないはずです。誰もが、一時的に座席を借りているだけに過ぎず、みんなの共有スペースともいえます。
そう考えると、ここまでが”自分のスペース”で、ここからが”相手のスペース”という区切りはなく、本来は”自分と相手の共有スペース”と捉えることができます。
なので、
「おいおい!ここは俺の領域だろ?
勝手に入ってくんじゃねーよ!」
と、イラっとすること自体、マト外れな話なのです。
だって厳密にいえば、あなたの場所ではないし、他の誰かの場所でもありません。
座席の間にある境界線(=ヒジ掛け)は、とても曖昧なものです。
なのに、「隣の人よりもっと!」とか「隣の人よりも多く!」とか…。人がそれを分けた途端に、狭くもなれば、広くもなります。
これを、地球規模で考えてみてください。
結局、国同士が争う理由も、ヒジ掛けの奪い合いと大して変わらないのです。
お金持ちと貧乏人の違い
新幹線の『ヒジ掛け問題』については、賛否両論あると思いますが…。
ここで僕が伝えたかったことは、
「市場に流れるお金も、
全人類の共有物である。」
ということ。
この意見が正しいかどうかは分かりませんが、こう考えることで”お金を稼ぐ”ことに対するブロックは嘘のように消えていきます。
例えば、あなたの財布の中に『1,000円札』が入っているとします。当然、あなたは、そのお札を自分のお金だと考えているでしょう。
しかし、近所のラーメン屋で900円のチャーシュー麺を注文すれば、すぐに1,000円札はお店のものになります。
そして、お釣りの100円は、ラーメン屋から瞬く間に自分のものへと変わります。
そう考えていくと、
『私のお金』
『あなたのお金』
『◯◯さんのお金』
と、わざわざ区分すること自体、おかしな気がしてきませんか?
さらに、あなたが死んでしまえば、お金はすべて、あなた以外の誰かのもとに渡ることになります。
そう考えると、お金は”全人類の共有物”にしか過ぎないし、生きている間の”シェア物質”と捉えることもできます。
つまり、商売で”ジャブジャブ”お金を稼ぎたいなら、お金を受け取るとか、相手から奪うとか、そういった発想自体がナンセンスです。
そうではなく、
「共有財産の中から、一時的にシェアしてもらいます。」
「また、そのうち返しますから安心してください!」
みたいな軽いノリで、どんどん商品やサービスを提供して、お金を稼いでしまえばいいのです。
そうすることで、市場に流れるお金の量は増えるし、今まで以上に経済も循環していくでしょう。
そもそも、お金とは、人が作り出した”価値を示す数字”にしか過ぎません。
お店で500円で売っている商品を買うということは、買う側はそこに”500円以上”の価値を感じているから、お金を出して手に入れるわけです。
当たり前ですが、買い手がその価格に同意しなければ、その取引きが成立することはあり得ませんので、本来お客さんから”お金をもらう”という行為に、引け目を感じる必要なんてないのです。
だって、それ相応の価値を提供しているわけですから、対価としてお金をもらうのは当然のことです。
そういう意識が持てると、”市場のお金はすべて自分の財布”のように思えてきます。
必要なときに、必要なぶんだけ、ATMのように…。人々に価値さえ提供できれば、あなたが好きなときに、お金は自由に引き出すことができるのです。
資産18億円を持つ友人の話
ちなみに、僕の幼なじみのS君も、似たようなことを言っていました。
彼は、FXや株取引において莫大な利益を得ていますが、もちろん勝率100%ではありません。
当然、損することもあります。
そんなとき、
「たまに負けてあげることで、
市場にお金を返してるんだ。」
と、よく口にしています。
まるで、”市場のお金はすべて自分の財布”のような物言いですよね。
また、2018年『台湾東部地震』が起こったときには、
「最近、儲けすぎているから…。」
と、約500万円の寄付をしていました。
彼も、お金は”全人類の共有財産”にすぎないということを知っているのです。
こういう話をすると、
「そんだけ金があれば、
俺だって寄付するっつーの!」
と、反論してくる人もいますが、そういう人に限って「1円」たりとも寄付などしていません。
以下は、東京都足立区にあるコンビニの張り紙です。

もちろん、募金は強制ではありませんが、あまりに悲しい結果です。
本来、お金が欲しいなら、募金はしたほうが良いんですけどね…。
最後に、その理由について掘り下げて考えていきたいと思います。
金は天下の回りもの
『金は天下の回りもの』と言われるように、経済が潤うためには、お金の循環が不可欠です。
お金を溜め込むだけでなく、定期的に外へ出してあげることで、マーケット全体が潤い、結果的に自分のもとへ返ってきます。
逆に、自分の懐に閉じ込めようとすればするほど、お金はどんどんと離れていきます。
常識的に考えれば、お金を節約することで溜まっていくように思えますが、実際はその逆なのです。
なぜなら、必死にお金を節約するという行為は、裏を返せば、”自分はお金を稼げない人間”だと深層心理に植え付けているのと変わりません。
さらに恐ろしいことに、我慢して節約すればするほど、より一層その思い込みを強くしていきます。
そして最終的に、お金に縛られ、一生不安を抱えたまま生きていくことになるのです…。

先述したとおり、市場に流れるお金は『全人類の共有財産』です。多少なりとも、そういう意識が芽生えると、遺伝子の”協調性”に逆らうことなく、お金の巡りが良くなってきます。
くれぐれも、独り占めせず、周りとの共存を意識してみてください。
そうすれば、お金に対する抵抗感もなくなり、あなたの懐に”ジャブジャブ”とお金が入ってくるようにるはずです。
まぁ、信じるか、信じないかはあなた次第ですけど…。
最後に
いかがでしたか?
今回は、僕らが生きていくうえで欠かすことができない、『お金』の存在について深く考えてみました。
なかには、お金のことを考えるなんて”いやらしい”と感じる人もいるでしょう。また、日常生活のなかで、”お金の話をしない”ことが日本人の美徳のように思われているフシすらあります。
その結果、多くの人は、自分の思考だったり考えだったりが生じる根本の理由について、ほとんど理解していないのが現実です…。
「どうして、そう考えているのか?」
「なぜ、そう思うようになったのか?」
あなたの思考の根源を探ることで、見えてくる何かがあるはずです。
もちろん、僕の述べた考えが、絶対に正しいとは限りません。論理的にみれば、かなり強引な部分もありましたし…(汗)。
なので、ぜひあなた自身、じっくりと”お金の正体”について考え、自分なりの答えを導きだしてください。
以上、最後まで読んでくれてありがとうございます。