なぜ、我々はスピリチュアルが「嘘臭い」と感じてしまうのか?

スピリチュアルのすすめ

こんにちは、ヒデです。

今日は、ちょっと珍しくスピリチュアルの概念についてお話していきたいと思います。

で、恐らくですけど”スピリチュアル”って言葉を聞くと、

「なんか怪しい」

「うさん臭いなぁ」

「騙されるかも」

と、マイナスのイメージを抱く人が少なくないと思うんですよ。

”目に見えない世界”について扱う分野だからこそ、余計に拒否反応を起こす人が多いのかもしれません。

しかし実際、僕らは「愛情」「友情」「信頼」といった”目に見えないエネルギー”を当たり前のように信じているし、お墓の前で手を合わせてご先祖様に感謝の念を抱くこともあります。

ほかにも何かを信じたり願ったりするという意味では、全ての人間は例外なく”宗教的な要素を含んでいる”と言えるのです。

それなのに、何故スピリチュアルと聞くと途端に”ウサン臭い”と感じてしまうのか?

今日はその理由について考察しながら、ロジカルな視点からスピリチュアルの正体を暴いていこうと思います。

ヒデ
まぁ、信じる信じないは個人の自由ですが、もっと高いレベルで人生をより良くしていこうと考えたとき、単純にスピリチュアルの概念を知っておくと便利なんですよね。

スピリチュアルが胡散臭いと感じる本当の理由とは?

「演繹法」の致命的な罠

”スピリチュアル”と聞いたときに、どこか腑に落ちない感覚が残されるのは何故なのか?

さまざまな理由が考えられますが、その一つに世の中に溢れるスピリチュアル論の大半は『演繹法』を使って説明されることがあげられます。

演繹法とは、まず始めに「○○は××である。」という大きな前提があり、そこから全ての物事を説明しようとする論法です。

例えば、「神様がいました」「この世は神によって作られました」「そこには☆☆という意図がありました」みたいな特定の決めごとがあり、そこから順繰りと一つずつ紐解いていく。

裏を返せば、そもそもの前提部分で納得できなければ、その体系すべてが信じられなくなってしまう訳です。

それなのに、巷のスピリチュアル関連の本などを読むと、いきなり「宇宙の法則によると…」「魂は永遠であり…」みたいなところから始まり、

・それが何故できた法則なのか?

・どんな根拠があって成立しているのか?

という説明が全くなされないまま論理が展開していきます。

いきなり神だの魂だの言われても、そもそも「神は存在するのか?」「魂とは何なのか?」といった途中の議論を完全にすっ飛ばして始まるから、どこか腑に落ちない感覚が残ってしまうのです。

だから、その前提を受け入れられる人は凄く受け入れられるけど、受け入れられない人はどうしても受け入れられなくなってしまう。

これこそが、日本人の多くがスピリチュアル的な概念を中々信じることができない根本の理由だと言えます。

 

なぜ、神を信じることができないのか?

とはいえ、「演繹法」自体は日常的にもよく使われています。

身近な所でいえば、学生時代に学んできた数学というのは、ほとんど演繹法によって作られたものです。

例えば、”1+1=2”というごく一般的な計算式がありますが、これも厳密に言うと一つの定義でしか過ぎません。なぜなら、”1+1=2”にならない世界というのは数学的にいえば無数に存在しているからです。

その中の一つだけを取り出して、僕たちは”1+1=2”だと教えられ、「なるほど。そういうもんなんだ!」と信じ込んでいるわけです。

では、なぜ学校で教えられた算数の理屈はみんな受け入れられるのに、「この世は神によって作られました」とか「宇宙の法則によると…」という理屈は受け入れることができないのでしょうか?

同じ演繹法を使っているにも関わらず、算数の体系はすんなりと受け入れられるのに、スピリチュアル的な体系については完全には受け入れられない。

この決定的な違いは何なのか?

これは、そこで語られている世界を”具体的にイメージできるかどうか”の違いが一番大きいと思います。

そこに実体験というベースがなければ、どうしても「えぇ〜??本当に!?」と何を語られても話半分に聞こえてしまうのは仕方がないことです。

例えば、目の前にりんごが1個あり、さらに1個増えれば2個になるという素朴な感覚は誰にでもあると思うんですよ。

この事実を疑う人はいないはずです。

だけど、いきなり「神様がいました!」とか言われると、「えっどこに?」という疑問がやっぱり出てきてしまう。

しかも、神様のおかげで「私の人生は◯◯の部分で大きく変わった!」という確かな実感がなければ、その存在を認識することも難しい。

つまり、僕らは算数のように”体験ベース”の事柄を演繹法で語られると腑に落ちる一方で、逆に波動がどうとか、マインドがどうとか、宇宙のオーダーがどうとか、実体験に根差していないことを演繹法されると途端に怪しく感じてしまうのです。

 

日本人の宗教観が邪魔をする

で、これが西洋人であれば、神様がいるという事実がごく当たり前の価値観のなかで生きているので、すんなりと受け入れることができるんですよね。

それこそ、多くの外国人たちは、神の存在を常識や文化と呼んでも過言ではないレベルで信じ切っています。

例えるなら、

「1+1=2」

「ごはんを食べる前は必ず”いただきます!”」

「ビタミンCを摂取すると肌がキレイになる!」

みたいな、それくらい当たり前のレベルで社会に浸透しているので、「この世は神によって作られました!」と言われても特に違和感なく受け入れることができるのです。

しかし、多くの日本人の場合、そもそも大前提である”神の存在”すら疑っている人がほとんどです。

実際、世界の7割以上の人が神を信じているのに対し、日本では約3割しか神を信じておらず、中国に次いで無神論者が多い国としても有名です。

そのため、西洋から輸入されたスピリチュアル的な考え方に対しても、どうしても論理が飛躍しているように感じ、何を語られても真実味がないように感じてしまうのです。

全ての人間にスピリチュアリティは存在する。

スピリチュアル

人間=宗教的な存在

でもね、仮に「俺は無宗教なんだぜ!」と頑なに信じ込んでいる人がいたとしても、例外なく人間には何らかの形で”スピリチュアル的な要素”が含まれています。

だって、何かを願わない人はいないし、何かを望まない人はいないし、何かを信じない人はいないはず。

例えば、

「貯金が1億円あったらなぁ。」

「可愛い〇〇ちゃんと付き合いたいなぁ。」

「明日の試合、絶対勝ちたいなぁ。」

と、何かを祈ったり願ったりすることの総体が、厳密にいえば”スピリチュアル”と捉えることができます。

それこそ、愛という概念を信じている人がいるだろうし、友情という概念を信じている人がいるだろうし、他にもお金、国、健康、幸せ等など…。

僕らは、常に何かを信じたり願ったりします。

極論、それら全てがスピリチュアル的な営みだと言えるのです。

ヒデ
だから、”スピリチュアルを信じない”という立場を取るのは個々の自由ですが、それって凄く自分の人生を狭めてしまうような生き方になってしまうんですよ…。

例えば、目に見えない世界を一切信じないのであれば、愛情や友情といった概念すら信じないということになってしまいます。

そう考えると、もし目に見える世界(=3次元世界)でのみ生きている人がいた場合、愛情や友情や夢すら信じることができず、最終的には”損得”でしか物事を判断できない人間になってしまうのです。

どんな人生を送ろうが自由ですが、少なくとも僕はそんな寂しい生き方はしたくありません。

人を愛したいし、仲間が好きだし、夢も見ていたい。

目に見えなくても、手で触れられなくても、確かに存在している”大事なもの”があると確信しています。

もちろん、それは正しくても間違ってても良いんだけど、自分なりに導き出した答えというのは、自分の中ではそれが正解で構わない。

だから、僕からすれば、この世の創造主なる者が実存したかどうかはあまり重要ではありません。

それよりも、「その考え方を採用する」ということに価値があり、新たなマインド(=考え方)を取り入れることで、自分の人生が何かしらポジティブな方向に進むなら積極的に”採用”したほうが得だと考えているのです。

人生をより良く生きるために、”自分が信じられる部分だけ信じればいい”くらいの程よい距離感でスピリチュアルと付き合っています。

 

別に神様がいなくても構わない

でね、ここで僕が一番に伝えたいことは、

別に神様がいなくても構わない!」

ってことなんですよ。

それよりも、いると”見立てる”ってことが凄く重要です。

例えば、日本人であれば、”お天道様が見てる”という言い方をよくしますよね。

【お天道様が見てる】
人間の悪事に対して、ほかの人間が誰も見ていなくても太陽はきちんと見ているのだから、どんな時でも悪事ははたらかぬべきだと説く語。

お天道様がそのまま太陽を意味することもあれば、神や仏といったものの象徴として扱われることもある。

出典:weblio辞書

要は、「お天道様がいるんだ!」と見立てることによって、誰も見ていないところでも善い行いができるようになります。

これを”陰徳を積む”と言うのですが、神を信じることによって、神はこう考えてらっしゃるから、自分の生活をこのように良くしていこう、と考える。

そこを意識して日々の生活を送っていくことで、現実世界でもポジティブな変化が起きるようになります。

ヒデ
だから、スピリチュアルとは、一つのマインドセットであり、生き方の指針にもなり得るんですよ。

もちろん、

「だからこそ、神様を信じましょう!」

「スピリチュアルを学んでください!」

みたいなレベルの低い話をしたい訳ではありません。

ただ、目に見える世界(=3次元世界)でのみ生きていると、単純に損することばかりなんですよ。

例えば、少し俗っぽい言い方ですが、目に見えない世界(=4次元世界)において感謝だったり、信頼だったり、共感だったりのエネルギーが蓄積し、それが3次元世界で具現化されたものが『報酬』という形で返ってきます。

だから、とにかくお金を稼ごうと思ったら、誰かに何らかの価値を与えることで、感謝や信頼や感動といった”目に見えないエネルギー”をどんどんと誘発する必要があるのです。

さらに、毎日いい気分で仕事をして、いい感じで人付き合いをしていれば、当然自分だけでなく周りの人間も元気になるだろうし、自然とエネルギーも循環していきます。

つまり、僕たちは目に見える世界(=3次元世界)だけで生きているようで、実際は目に見えない世界(=4次元世界)の中でも生きているのです。

イメージ的には、4次元世界で起こっていることが、そのまま3次元世界で『形』として現れるような感じ。

やっぱり、何事も成るべくして成っているんですよ。

だからこそ、普段から目に見えない世界にもちゃんと意識を向けるべきなのです。

ヒデ
何度も言っている通り、実際に神が存在するかどうかはどうでも良くて、”その考え方を採用する”ということに大きな意味があります。

 

受け取れるエネルギー量が変わる

キリスト教の信者が教会に行くと、神秘的なパワーを受け取ることができると聞いたことがあります。

厳かな気持ちになり、自分のことを誇りに思えるにようになって、明日もまた生きていこうと活力が湧いてくるそうです。

逆に、キリスト教を信じていない僕らが教会に行ったところで、「あ〜キレイだなぁ」「凄い建物だなぁ」と感じるくらいであまり得られるものがありません。

単純に、キリスト教徒は神の存在を信じているからこそ、そこから多大なエネルギーを受け取ることが可能なんですよね。

で、これは僕らにも全く同じことが言えます。

例えば、日本人の場合、神社やお寺に行くと神聖な気持ちになれるという人は意外と多いのではないでしょうか。

人によっては、身が引き締まるような思いがしたり、何かに守られているような気持ちになったり、どこか厳かな気分になったり…。

さらには、神社の概念や成り立ちについてより深く知っていれば、そこから受け取れるエネルギー量はもっと大きくなるはずです。

だから、神様なんていないと信じている人にとっては、絶対神様はいないんですよ。

逆に、神様がいると見立てている人からすれば、日々の良いことや悪いことも全てメッセージだと捉えることができ、結果的により良く生きることができます。

当然ですが、前向きでいれば、いい事も起こりやすいし、それに感謝する心も芽生えます。

そう考えると、頑なに「スピリチュアルは一切信じない!」という立場を取るより、自分に都合の良い部分だけでも取り入れたほうが幸せになれるんですよね。

ヒデ
僕自身は、それくらい”ゆる〜い”感じでスピリチュアルと付き合っています。

最後に

先述した通り、スピリチュアル的な概念を信じるかどうかは正直どうでもいい話です。

今回は、そんなレベルの話をしたい訳ではありません。

ただ、目に見えない世界を信じることによって、自分の生きる現実世界がよりポジティブな方向に転がることって結構あるんですよね。

例えるなら、地面に映し出される『影』と一緒です。

よく晴れた日に、あなたの頭上を鳥がビューンっと飛んでいけば地面に影ができますよね?

実際の鳥を見ていなくても、その影を見れば鳥がどのように動き、どれくらいのスピードで移動しているかが把握できると思います。

4次元世界を信じるというのは、これと同じ感覚です。特定の影を捉えることで、3次元世界はこうやって動いていくんだろうなぁと、ある意味予測することなんですよ。

つまり、目に見えない何かを”見立てる”という行為は、より高い視座を持って生きましょうってことにも繋がってくるのです。

・・・とは言っても怪しいと思う人は一定数いるでしょうが(笑)

スピ系が苦手な方も、ぜひ自分が”信じられるもの”だけでも取り入れてみてください。

また、こちらの記事では、スピリチュアルを日常生活で活かすコツについて書いています。

併せて読んでもらえると、より理解が深まると思いますよ。

スピリチュアルの使い方

依存はNG!スピリチュアルと上手に付き合う方法

2018年10月22日

それでは、今日はこの辺で。

以上、最後まで読んでくれてありがとうございます。

スピリチュアルのすすめ

ABOUTこの記事をかいた人

矢島秀人(ヒデ)

現代社会のあり方に疑問を感じて、最強のフリーターを志す。独自の手法「ブッダ∞アフィリエイト」を実践し、2011年以降”ほったらかし”で月収7ケタ超え。現在は海の町で暮らしながら、主にネットビジネス・企業コンサル・FX投資などを行い、個人ビジネスの究極形を追求している。何モノにも媚びず、己の腕一本で食っていける知識をシェアしよう。